江戸っ子の初物好き・・・「年中初物」時代が到来か?

 江戸に生まれ男に生まれ初松魚(はつかつお)」(泰里)
 江戸っ子の本領である「粋と張り」がみなぎる句ですね。歌舞伎の三代目中村歌右衛門が一尾三両(三十万円相当)で買った
 という逸話も残っていれば、「初物は女房を質に入れても食え」ともいいます。どうやら江戸の一部庶民は初鰹を求めて狂奔した
 ようです。

 初物を食べると七十五日長生き出来るという俗信もあったのですが、江戸っ子の初物好きは決して長生きしたいがためだけでは
 なく、上方を意識した“張り”から生まれたと考えられています。鰹は瀬戸内では獲れないし、江戸は勝男(かつお)武士(ぶし)だというわけ  です。 上方の(しゅん)(美味しく値段も安くなる)を大事にする合理精神とは明らかに一線を画するようで面白いですね。

  初物賞翫は鰹に限りません。
  江戸中期に出版された初物評判「福寿草」(安延五年・1776)の食類之部を見ると、第一位が「初鰹」、続いて「初鮭」、「新
 酒」と並び四番目に「新そば」がランクされています。

  貯蔵技術・設備の乏しかった当時は、蕎麦も年を越して三月を過ぎると、「夏のそばは犬も食わない」の例え通りにぶつぶつに
 切れて食べられたものではなかったといいますから、そば好き人間にとっては十一月の蕎麦屋の店頭に出る「新そば」の貼り紙が
 ぞ待ち遠しかったことでしょう。

  「新そばに小判くずす一トさかり」(柳多留) 
  鰹には及ばないまでも、新そばの出現に矢も盾もたまらず、取って置きの小判をくずすため両替屋に走る姿を詠んだものですが、  楠本健吉氏の「食べ物歳時記」によれば、浅草田原町で質屋・両替商を営んでいた伊勢屋九右衛門の店では「お酉さまの日
 と言えば新そばが出る。朝から晩まで小判二百枚ぐらい両替するのが毎年の例であったという」と植原路郎氏「蕎麦辞典*」から
 ひいて当時の江戸っ子の初物好きの様子を紹介しています。

  また一茶の句に「江戸店や初蕎麦がきに袴客」があります。
  新そばを羽織袴姿に威儀を正して食べに行く江戸っ子の心意気を詠ったものです。少し滑稽にも見えますが、それほど初蕎麦
 が待ち遠しかったということなのでしょう。ただ一茶には「そばの花江戸のやつらがなに知って」のような、江戸っ子のそば好きを斜か
 ら見る視点(一茶は「霧下そば」の本場・信州柏原の生まれ)も持ち合わせていたようですね。

   ところが「新そば神話」も、北海道産のソバ粉が全国生産量の半分近くを占めるようになっていささか様子が変わって来ました。
 北海道は気候の関係で「夏ソバ」(五、六月に播種)が七、八月に収穫され市場に出回って来るようになったのです。

  さらに九州では温暖な気候を利用して「春ソバ」(「春のいぶき」)が改良種(早生)として開発され五、六月には市場に出回るの
 で、「新そば」の貼り紙も年三回掲出されることになりそうです。おまけに冷凍・冷蔵技術の進歩がソバの長期保存を可能にしたた
 め、年中高品質の蕎麦が楽しめるようになり、「新そば」の有難味はこのところ低下傾向にあるようです。

 最近ではソバ栽培に縁の薄かった石垣島や沖縄でも十一月播種・二月頃に収穫するようになり、そば好き人間をますます喜ば
 せてくれそうです。蛇足ながら中国雲南省南部の思芽県・普洱県では、ソバは十一月に播種され一、二月に収穫される「冬蕎
 (
ドンチャオ)
*」があるといいます。
年中、日本の何処かで「新そば祭り」が行われている、そんな日が近いと聞いたら、「粋と張り」の江 戸っ子もさぞがっかりすることでしょうね。

 

 参考文献

 *改訂新版・植原路郎著「蕎麦辞典」(改訂編者・中村綾子)ではこの稿は削除されています。

 *大西近江著「ソバ属植物の種文化と栽培ソバの起源」(北海道大学図書刊行会「栽培植物の自然史」所収)



                                 TOP