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江戸っ子の蕎麦物語② 江戸時代のマスメディア「引き札」と蕎麦 江戸・明治時代を通じて宣伝のために作られた今でいう「チラシ」のことを「引き札(報條ともいう)」と呼んでいました。テレビ・ラジオ・新 聞など無い時代のことですから当時のマスメディアといってもよいのでしょうね。語源は「客を引く」、また当時は「配る」ことを「引く」と言っ 江戸・日本橋・駿河町に開店した三井越後屋(現三越)が天和三年(1683)に「店売り・現金安売り掛け値なし」の新商法を引き札 に託して十里四方に撒いたのが最初だといいます。それまでは富裕な武家や町人宅(固定客)を訪問して行商をするのが普通でしたが、 庶民の購買力向上に伴って不特定の大衆に商域を広げるのに必要な新兵器(経営モデル)だったわけです。 山東京伝・十返舎一九・式亭三馬・河竹黙阿弥等の戯作者(コピーライター)、喜多川歌麿・葛飾北斎・歌川国重等の著名絵師 蕎麦屋も開店お披露目の際に引き札を作って配布したようで、作品が多数残っています。その一例(山東京伝作)をご紹介しましょう。 花白く茎赤き蕎麦畠は、都鳥の群れいるかと疑い、大根卸に唐辛子は、紅葉に霜を置けるが如く、(中略) 蕎麦切り色の褌は、身代を持ち直し、悪抜の饂飩には正直の名を得たり。(中略)むかしが今に至るまで、蕎麦好は少なからず、ところへ付込むわが新舗(新店)、花のお江戸の四里四方、通り町から新道まで、そばやの行燈世界を照らし、我いちと、案じにあんじるは中々、世のつねの事では、蕎麦通様かたの御意に不叶。そこらは随分承知の介なれば、吉ッ粋雑りなしの生そばに仕込みし、したじも山十(醤油のブランド)に土佐節をつかい、去る程に大安売仕り候間、何卒御贔屓御引立と思召、見勢(店)開き初日より、永当永当大入繁昌仕候よう、ひとえにひとえに希うものから、錦手(上絵を付けた陶磁器)の猪口より、ちょっと引きさき箸(割り箸)をこう持って、木地蝋色の膳のうえに、でたらめ御演書、よしなに御覧くださりましょう。(カッコ内は筆者解説)
自分の興味を持っている物品の広告がインターネット上に最近よく見かけるようになったと思われませんか? 過去のグーグル検索や アマゾン購入等のデータが蓄積され活用され出したのです。すこし不気味ですね。 こういった状況を反映してインターネットの広告が激増し昨年末で、テレビの広告量(金額)とほぼ並んだと言われています。 山東京伝や平賀源内の引き札が懐かしく思えてくるのは、私だけなのでしようか?
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