江戸っ子の蕎麦物語⑥

箸食と蕎麦  箸食は日本固有の文化

 

 「かげろうやそば屋が前の箸の山」 一茶

蕎麦屋が箸を店の前に干している江戸の下町の日常風景を詠んだ句です。

箸を使い廻しするために洗って干しているのですが、本当の狙いは、こんなにお客が大勢来ることを、宣伝しようという魂胆だったのかもしれません。それにしても口に入れる箸を店先に干すなんて・・のどかだった時代背景が窺われますね。

落語の「時そば」に出て来る使い捨ての割り箸(引裂箸ともいった)が蕎麦屋で使われるようになるのはまだずっと後、大正・昭和になってからのことで、江戸時代はまだ竹製の丸箸が一般的でした。

 ところで、日本への箸の伝来には諸説あるようですが、中国に渡った小野妹子等の遣隋使(七世紀頃)がもたらしたというのが一番有力な説だと言われています。これを契機に、それまでの手食に替わって箸食がまずは宮中から次第に普及して、現在では日本固有の文化であるといわれるようにまでなりました。日本人の器用さは幼児期からの箸の使用によるとされる由縁でもあります。子供が両親から最初に受ける躾はまず「箸の持ち方」ではないでしょうか。この箸食が器用さだけではなく、食事の内容にも大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。

食文化に造詣の深い石毛直道氏*は「箸を使う典型的なものに「麺」がある。発祥は中国大陸と考えられているが、やがて朝鮮半島、日本列島の周辺に伝わり、それぞれ特徴のある麺文化をつくりあげた。これらの線状麺は、箸を使う文化圏で生まれたものである。熱いスープの麺料理を食べるのに必須の道具は箸である」(「食文化入門」)と指摘をしています。

確かに線状麺(細く長く切られた麺)は、中国のラーメン・朝鮮半島の冷麺・ベトナムのフォー等東アジアに集中していて、例外はイタリアのパスタくらいのものでしょう。箸食を日本固有の文化であるといったのは、中国・朝鮮半島やベトナムでも箸を使いますが、すべてスプーンとの併用で、箸だけを使うのは日本に限られるためです。

また日本人にとって箸は、単に三度三度の食事だけでなく、生後百日目の「お食い初め」に始まり、死後は「お骨拾い」、ご仏前には「ご飯に箸を立てて供える」などの習慣が古くから伝わっていますし、お節料理やお雑煮には普段の箸ではなく「祝箸」が使われる等、人生の節目節目に重要な役割を果たす特別な用具なのです。

とはいっても、そばを食べるのに特別の箸があるわけではありません。箸先が細く四角い形のものが麺を確り挟み易いのではといった程度のことです。特に簾にへばりついた蕎麦の食べ残しを綺麗にする(蕎麦を食べる際のマナーのひとつ)のには先端が丸くては難しいでしょう。箸使いの一般的なマナーは沢山ありますが、蕎麦を食べる際にも気を付けなければならないことは言うまでもありません。

 「箸と蕎麦」の話で思い出すのが、かつては会津若松城下と下野今津市とを結ぶ下野街道の宿場町として参勤交代や江戸廻米の運搬で栄えた大内宿(現在は三十軒ばかりの茅葺屋根の古民家が建ち並び観光地として人気を呼んでいる)にある蕎麦屋・三沢屋さんで食べた「ねぎそば」のことです.
この「ねぎそば」は刻み葱がたくさん入った類の蕎麦ではなく、ねぎをお箸の代わりに使う大内宿独特の変り蕎麦なのです。使われているは郡山付近で栽培する「阿久津曲がりねぎ」といって、先が釣り針のように曲がっています。そこに蕎麦を引っかけて箸の代わりにするという寸法なのです。しかも齧りながら食べれば薬味にもなるといった優れものです。春にまっすぐに植えるのですが盛夏の頃わざわざもう一度斜めに植え替えて茎を曲げるのだそうです。柔らかくなり食味も良くなるといいます。

 是非いちど日本で唯一大内宿でしか味わうことが出来ない「ねぎそば」をご賞味されては如何でしょう。

 

 

 *石毛直道 (1937~)  文化人類学者・民族学者。国立民族学博物館名誉教授・元館長。



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