郷土蕎麦の物語① 北海道には真夏に雪が降る 日本一のソバ生産地 日本最北の藩・松前藩が成立したのは慶長9年(1604)、徳川家康から蝦夷地の領地権、徴役権、交易の独占権を与えられたのです。一万石に準ずる待遇を受けていましたが、実際はコメの生産がない無石の大名でした。 それがどうでしょう、現在の北海道は米の生産は新潟に次いで全国第二位、小麦は全国の約三分の二を占めるダントツの第一位、トウモロコシは約40%で第一位です。もちろん、ソバも現在では長野県や福島県などのソバ処を断然引き離して全国第一位(全国シェア45%前後)を誇っています。今や北海道はわが国の穀物生産の宝庫なのです。自然環境の変化もあるのですが、中央政府と道民の苦闘の歴史を忘れてはならないでしょう。 実はそばと北海道の関わりは意外に古いのです。 函館市にある「ハマナス野遺跡」から一粒のソバの種実が発見されたことに始まります。ハマナス野遺跡は縄文前期の集落跡だといいますから今から五~六千年も前にソバ栽培がおこなわれていたということになります。それも、遺伝子分析の結果、本州からの伝来だといいますから驚きです。 それでも北海道がソバで全国から注目を集めたことが三回ありました。 その第一は、第二次世界大戦の最中の昭和18年6月に食糧事情の悪化から「食糧増産応急対策要綱」が閣議決定され、北海道庁は7000㏊の休閑地を「報国農場」に指定し、その三分の二で急遽ソバを増産することにしました。人手不足を補うために東京を中心に蕎麦屋から約3000人が北海道に派遣されることになり、全国の注目を集めたことです。 第二は、米の減反政策への転換(昭和40年代)によって、代替作物としていち早くソバを選んだ北海道が全国一のソバ生産県になった時のことです。市町村別生産高でも幌加内が第一位になり全国の注目を集めました。 そして第三は、平成5年(1993)の全国的を襲った冷夏・長雨によってソバの大不作が勃発したのですが、幸いにも比較的降雨量の少なかった北海道のソバ(キタワセ)のブランドが全国の蕎麦屋さんに知れ渡ったことがあります。 北海道のソバ産地は数多く、幌加内町を先頭に深川市、音威子府村、名寄市、旭川市、新得町と続きます。 蕎麦は俳句では秋の季語ですが、北海道のソバの収穫時期は8月が中心です。ソバは霜に弱く、収穫前に霜を迎えると全滅を免れません。中国大陸から朝鮮半島を通って対馬・九州へ上陸したソバは、本州を北上縦断して北海道に至るまで、それは各地の自然環境に適応しながらの旅でした。北海道の初霜は地域によって異なりますが、旭川や室蘭では9月上旬に降るといいます。対馬に上陸した「秋ソバ」(収穫9月中旬~11月下旬)は北上するにつれてそれぞれの地域の自然環境に順応しながら長い時間を経て「夏ソバ」(7月~9月上旬)へ変化したのです。ソバの強かさにはいつもながら驚かされます。 |