郷土蕎麦の物語④
 

    ()海苔(のり)とそばのマリアージュ  「へぎそば」の秘密

 

 ご存じの通り新潟県は日本一の米の生産地です。越後平野は関東平野に次ぐ日本で二番目(面積)の大平野であり、日照時間は長く、降雨量は少ないとはいえ冬の積雪が米の生産に必要な水資源を生むのです。

 あまりにも有名な越後米の陰に隠れて目立たないのですが、実は長野県境あたりの中山間地は昼夜の温度差が激しく冷涼な気候で、小地(おじ)()・十日町・妙高高原などは美味で轟く「霧下そば」が栽培される日本有数のそば処なのです。

 新潟のそばは「へぎそば」と呼ばれ、つなぎに布海苔を使い、「へぎ」((木の皮を剥いだ)と呼ばれる木製の器に盛られる独特のもので、「手振り」と呼ばれる小分けされた盛り付けで供されます。通常二~三人前のそばが盛られていて仲間と一緒に食べるのが一般的とされています。「へぎ蕎麦」の人気の秘密も案外このようなところにあるのかもしれません。

 布海苔の入った麺体は腰が抜群に強い上に、ツルツルと喉ごしが良く一度食べると忘れられない味わいが残ります。とにかく新潟のそばは個性的なのです。布海苔は日本を含む北太平洋沿岸地域に生息する暗紅色をした海藻で、味噌汁の具や刺身のツマとして食用に使われていますが、古くは糊の原料として使われ、漆喰や織物ののりつけにつかわれていました。

 小千谷や十日町(魚沼地方)はもともと雪深く、長く続く冬の副業として麻の織物が盛んでしたが、やがてそれが縮布に進化し、高品質であったことから越後を代表する特産品(小千谷(おぢや)(ちぢみ)越後(えちご)上布(じょうふ))となったのです。高品質の織物を作るのになくてはならないのが布海苔でした。最後の仕上げの糊付けに布海苔を使うと強度が増して切れにくくなるといいます。

 布海苔をそばのつなぎに使っているのは全国でも新潟だけなのですが、それには理由があります。平安時代の昔から織物が盛んだったといわれる小千谷地区では一般の家庭に布海苔があるのが普通でしたし、江戸時代初期頃にはそば打ちも一般家庭に広く普及していたのです。つまり布海苔とそばとのマリアージュが起こっても決して不思議ではない、むしろ自然の成り行きであったといえるのかもしれません。さらに新潟のそばが独特なのは先に述べた通り、「へぎ」と呼ばれる木製の器に、「手振り」といわれる一口サイズに小分けした盛り付けです。
 「へぎ(片木)」は剥ぎ板で作った四角の、四辺に立ち上がり(縁)のある角盆で、お隣・山形県の「板そば」とも一部共通するともいえます。「手振り」の方ですが、一口大に小分けするのに手を振るような仕草をすることから付けられたといわれています。一口大に小分けするところはお隣の長野県「戸隠そば」の「ボッチ盛り」にも似通っているようです。

 かつて十日町近辺では薬味に辛子を使ったといいます。これは山葵の入手が難しかったためで昨今は山葵が出されるのが普通になっています。

 「へぎそば」のつなぎは布海苔だといいましたが、全国には様々な個性豊かなつなぎがあります。もともとソバ粉にはグルテン(注1)がないのでつながりが悪くぶつぶつに切れるのが当たり前だという時期がありました。ところが、小麦粉が入手できるようになると、小麦粉に含有されるグルテンの持つ弾力性と粘着力がそばを一変させ大好評を博することになります。これが江戸で二八蕎麦が大流行した理由です。が、地方では小麦粉の入手が非常に困難だったために、夫々の地方色豊かな「つなぎ」が誕生することになります。今日のような多彩な郷土そばの誕生をしたともいえます。

 つなぎの一部をご紹介すると、「長芋・自然薯」(全国各地)、「大豆の呉汁」(青森県津軽)、「オヤマボクチ(ヤマゴボウの葉)」(長野県富倉等)、「ヨモギ」(群馬・長野・新潟県)等のほか、卵白・豆乳・豆腐を使う地方もあります。またソバ粉十割で打つためにつなぎ使わずに熱湯で練る(湯捏ね)か、そば湯を用いる方法(友つなぎ)もあって非常に多彩です。

 

(注1)グルテン 小麦・ライ麦等の乳は胚から生成されるたんぱく質(グルテニンとグリアジン)が水を吸収して網目状につながったものです。そば切りの場合でいうと、そば粉と小麦粉に加水された時にグルテンが作られるわけです。グルテンはセリアック病(自己免疫疾患・小腸)の原因といわれ日本人には稀なのですが西欧人の約1%は患者だと言われています。

 


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