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郷土蕎麦の物語⑨ 春そばの誕生と「豊後高田」の二期作 新そばといえば秋、と江戸の昔からの決まり事でしたが、昨今この言葉も流行らなくなってきたようです。「夏のそばは犬も食わぬ」という諺もあったそうですから驚きです。貯蔵手段に乏しかった時代には気温の上昇とともにソバ(粉)が劣化してパサつき、つながりが悪くなって、とても食べられたものではなかったのでしょう。 一茶の俳句に「江戸店や初蕎麦がきに袴客」があります。新そば(そばがき)を羽織袴姿に威儀を正して食べに行く江戸っ子の心意気を詠ったものです。少し滑稽に見えますが、それほど初蕎麦が待ち遠しかったということでもあったのでしょう。 ところが、昨今事情が大きく変わってきました。一つは、冷凍冷蔵技術の進歩によって玄ソバや抜身の貯蔵期間がずいぶん伸びたことがあります。 もう一つは、秋ソバ(夏に播き・秋に収穫)だけでなく、寒冷の地・北海道から夏ソバ(春に播き・夏に収穫)が大量に出回るようになった上に、今度は春ソバ(春に播き・初夏に収穫)が温暖の地・九州からお目見えするようになったのです。少し先走ったお話をすると、亜熱帯地域の沖縄では2~3月に収穫する冬ソバ(注1)が誕生するのも夢ではありません。 ただ「新そば」の称号は依然として「秋ソバ」だけに与えられていることを見ると、やはり秋ソバが一番美味しいというのが通説のようです。もっとも私の舌ではとても味わい分けることが出来ないのですが・・・。 全国のソバ生産地では、収穫を祝う「そば祭り」が行われることが多いのですが、これまで秋に集中していた催事が次第に早くなり豊後高田では五月に行われるようになりました。現在のところ、日本で一番早く行われる「そば祭り」になっています。 豊後高田市は大分県北東部にある国東半島の西側にありますが、近隣の二つ 元々、山岳仏教文化「六郷満山」が栄えたところで、多くの寺院や磨崖仏が 九州沖縄農業研究センターが春まき早生の新品種「ぶき」を開発したという 九州沖縄農業研究センターは中間夏型で多収性の「階上早生」から集団選抜 これによって需要が高まる6~7月の暑い時期においしい新そばを味わうことが出来るようになったのです。3月中旬~4月上旬に播種して5月下旬~6月上旬に収穫できる早生品種の誕生です。 一方、そば打ち・蕎麦屋の育成には、「そば打ち名人」高橋邦弘氏が招聘されることになりました。高橋氏は北広島市でそばや「達磨」を経営する傍ら後進の育成と全国各地から招聘されて各種のイベント参加に忙しい最中ではありましたが、熱心な豊後高田市の勧誘に応じついには住居も広島から近くの杵築市に移し本格的に協力をするに至ったのです。 「蕎麦打ち職人養成講座」「段位認定会」等、ソバ栽培の歴史のない豊後高 蕎麦の歴史をほとんど持たない豊後高田市に果たして新しい「そば文化」が その折、温泉で有名な湯布院近くのインターチェンジで高速道路を降りて直ぐ近くのレストラン「天望館」で「瓦そば」(写真参照)という風変わりな蕎麦に出会ったのもその時のことでした。西南戦争(明治10年)の際に熊本城を囲む薩摩郡の兵士が瓦に乗せて野草や肉を焼いて食べたという故事に由来するといいます。思い出に残る一事でした。 (注1)二期作とは、同一品種を同一の場所で、1年に2回播種・収穫することを指し、二毛作は、異品種を同一場所で、年に2回播種・収穫するのことをいいます。 また長友大著「ソバの科学」に「三度そば」に関する記述があります。「鹿児島地方では「サンドソマ」と言い、同じ種子で1年に3度蒔くことができる。旧暦の2月の彼岸、6月、8月の彼岸に蒔く。草丈が低く夏秋兼用の早生の品種である」 (注2)「豊後高田手打ちそば認定店」 令和3年現在で13店が認定され市内で活躍中です。認定基準は次の三つです。(1)豊後高田のそばを使うこと(2)手打ちであること(3)三立てを守ること。
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