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「郷土蕎麦の物語」⑩ 「和そば」の参入で麺食文化の多様化が始まった・・・沖縄 日本にはそば粉を一切使っていない「そば」が三つあります。焼きそば・中華そば、そして今回話題にする「ソーキそば(沖縄そば)」(写真参照)がそれです。焼きそばと中華そばは単なる通称で、表示ラベルには「油揚げ麺」等正式名称が書かれているのですが、ソーキソバ・沖縄そばの場合はこれらと違い正式名称として、独占禁止法(注1)の特例として認められたものなのです。
ところが沖縄県民にとって「沖縄そば」はいわばソウルフードともいうべき存在で、450~500年前に中国から伝来し、琉球王朝時代には宮廷料理であったとされています。協同組合は「沖縄そば」の呼称の歴史的経過を説明して、ようやく翌年(1978・10・17)に独禁法の例外として沖縄県に限り認められることになったわけです。これを記念して10月17日が「沖縄そばの日」に制定され今日に至っております。 沖縄ではなんといっても「沖縄そば(注2)」が主流なのですが、昨今の健康食ブームや本土文化の流入の加速によって、沖縄でも「和そば」(「日本そば・ヤマトそば」とも呼ばれる)愛好者が確実に増加し、和そば専門店も少なからず見られるようになってきました。 ソバが寒冷地を好む特性があることから、亜熱帯気候の沖縄には栽培が不向きな植物と考えられ、これまでは本格的なソバ栽培は行われなかったとされてきました(注3)。ところが一方で土砂流失防止や農家の老齢化による耕作放棄地(サトウキビ畑)再生の必要性が高まり、その方策としてそば栽培へ熱い眼差しが向けられるようになってきたのが最近の沖縄の状況なのです。試験的にソバ栽培をやってみると、思いのほか品質が良く美味であったのと、本土のソバ生産時期の補完機能などの観点から生産地としての沖縄が見直されつつあり、沖縄本島北部の大宜味村では2010年にそば生産組合が、宮古島でも2013年に日本ソバ生産組合が設立され、秋まき栽培(11~2月・収穫は1~2月)・春播き栽培(2~6月・収穫は4~8月)が次第に拡大しつつあるのが現状です。 沖縄におけるソバ栽培・消費が本格化することになると、耕作放棄地の再生や土砂流失等の環境問題解決に貢献するだけでなく、「沖縄そば」一色になっている沖縄麺食文化に初めて多様化の兆しがもたらされ発展が期待されるのではないでしょうか。もちろん本土側でも一年を通して新そばを味わうことが可能となり、天候に左右され易いソバの収穫・供給の多元化に貢献することが期待されます。「和そば」が沖縄麺食文化の変化の起爆力になれるか、これは見ものです。 そんななか、およそ9年前のことになりますが、ソーキそばの本場でけなげに健闘する「和そば専門店」の姿を見てみたいと急に思い立ち、沖縄・那覇市の和そば専門店「美濃作」(注4)を訪問する1泊2日の忙しい旅を試みました。 ![]() 小山健氏はもともと日本料理人で戦前に何回か指導のため沖縄を訪れていたのですが、沖縄の本土復帰後の昭和53年、那覇市に和そば専門店・「美濃作」を開業したといいます。当時は「和そ (注1) 「生めん類の表示に関する公正競争規約」に「そば粉30%以上、小麦粉70%以下」と定められています。 (注2) 「沖縄そば」 沖縄の麺食の歴史は古いが、現在のように広く普及したのは戦後・本土復帰後のことです。「沖縄そば」の麺は中華麺 由来の製法でそば粉は一切使われていません。 (注3) 蕎麦研究家の勢見恭三氏は、琉球の古書を分析され、沖縄には球王朝の昔から「そば栽培、そば切り文化が存在した」とされる。 HP「大阪・上方の蕎麦」http://www.eonet.ne.jp/~sobakiri/参照 (注4)「月桃そば」 月桃の葉を冷凍し破砕して作った粉を更科粉(ソバの実の最深部分)に練り込んだ「変わり蕎麦」で見事な緑色をして (注5)
「美濃作」のその後 後継者に恵まれなかった小山氏は、昨年7月、沖縄クリエート社(ステーキハウス88経営)に「美濃作・月桃 |
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