世界の蕎麦物語②

   美食の国「フランス」にもそば食文化が・・・

11世紀末から凡そ200年間(1096~1270)もの間、ご存じの通り、エルサレム奪還のために十字軍が7回にもわたって遠征をおこないました。結果は目的を達成することなく失敗に終わるのですが、その十字軍がフランスにソバをもたらしたと伝えられています。フランス語でそばのことを「サラザン」と言いますが、これはサラセン人のことを指していて、そばのフランス渡来の事情を物語っているのではないでしょうか。
 バルビゾン派の画家ミレー晩年の作品に「夏 そばの収穫」(写真参照)があります。農夫たち脱穀している姿や、藁をも焼やしたり束ねたりしている情景が描かれているのですが、恐らくこれはソバ生産の中心地ブルターニュの農村風景なのでしょう。
 
 一般にそばは秋が収穫期ですが、ブルターニュ地方は緯度的には北海道よりも北に位置しているので、そばはすべて「夏ソバ」です。霜の降りるのが早い秋ではなく、夏が収穫期になるためです。ブルターニュはフランス北西部の英仏海峡を挟んで英国と接する半島にあって、農漁業が盛んな地方ですが、雨が多く年中湿度が高く、酸性でやせた土壌はそばとライ麦しか育たなかったといいます。十字軍がもたらしたそばをアンヌ女公・アンヌ・ド・ブルターニュ(1447~1514)がブルターニュを訪れた際に食され、大変お気に召されて宮廷料理に加えるととも無税にしたためソバ栽培が盛んになったともいわれています。そのためフランスの他の地方のような「小麦が主食+ワイン」といった食文化は育たず、特産品であるリンゴを発酵させたシ―ドル酒と古くからの郷土料理であるそば粉のガレットといった異形の食文化が定着したのです。

 
 郷土料理・ガレットの誕生は一説によると紀元前数千年に遡るといいます。ある朝ひとりの女性が、偶然熱い石の上にそば粥を落としたところ、薄いパン状に焼き上がり、食べて見るとことのほか美味しかったことが、郷土料理「そばガレット」誕生のきっかけになったという・・・よくありそうなお話ではありますね。

 ところで、フランスではクリスマスから40日目にあたる2月2日に聖燭祭(シャンドゥルール)があり、クレープを食べる習わしがあるそうです。丸い黄金色のクレープが太陽に似ていて、昔はこの時期に種まきの作業が始まるので、クレープを食べてその年の豊作を願ったのだということです。
 クレープといえばフランスといってよいほど普及しているのですが、元を正せば、ブルターニュのガレットから始まったものです。ですから、クレープとガレットが混同されることがよくありますが、ガレットの生地はそば粉で作られていて主食として食べられています。一方クレープの方は生地が小麦粉でデザートとして食べられているのが一般的なのです。
 ブルターニュでそば粉を主材料として食べられていたものが、小麦粉ベースのデザートに生まれ変わってフランス全土に普及したといってもよいでしょう。

 パリの街を散策していると、「クレープリー」という名の飲食店を彼方此方に見かけます。これはクレープ専門店ではなく、ガレットとクレープを主に扱うカフェレストランの総称なのです。 このお店ではそばガレット(写真参照)とクレープの両方を楽しむことが出来ます。ただし、ガレットは主食(そば粉の生地=塩味)、クレープはデザート(小麦粉の生地=甘み)として・・・。ガレットを食べ終わるとデザートメニューが出てきて好みのクレープをチョイスするのがクレープリーのマナーだそうです。
 片一方だけ食べるのはマナー違反だそうですからお気を付けください。かくしてパリジェンヌ達はたっぷり二時間余をかけてシードル(リンゴ酒)を飲みながら食事と会話を楽しむのです。もはやひとつのライフスタイルだといっても決して過言ではないように思われます。

 パリの中でもモンパルナスはクレープリーの激戦地区のようです。ご承知の通りモンパルナスはかつて著名な小説家や芸術家が集った土地で、現在も文化の香りが色濃い街です。またモンパルナスはパリからの列車が発着するターミナル駅でもあり、ブルターニュ地方へのTGV(特急列車)が発着しています。かつてブルターニュ地方からパリに移り住んだ人々の多くがモンパルナスに住みついていて、その中からクレープリーが誕生したとも言われています。

 日本にも本格的な(そばガレット+クレープ)クレープリーの開店が続いています。時にはパリ気分に浸るのも楽しいのではないでしょうか。
 フランスがロシア・中国に次ぐ3番目のそば生産国で1人当たり消費量(推計)では日本の約2.4倍にもなるのか理由がお分かり頂けたと思います。

 

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