世界の蕎麦の物語④

スロベニアは隠れた「そば大国」なのです

 スロベニア共和国といっても何処にあるのかご存じでない方が多いでしよう。
 ヨーロッパのほぼ中央に位置し、北はアルプス山脈、南はアドリア海に接し、イタリア(西)・ハンガリー(東)・オーストリア(北)・クロアチア(南)の四ヵ国に囲まれた、面積は日本の四国程度で人口わずか200万人といった規模の小国であり、1992年に旧ユーゴースラビアから独立した全く新しい国なのです。国土の3分の2は森林や公園という自然豊かな国で、日本の富士山にも例えられるトリグラウ山(標高2864m)が聳え立ち、「アルプスの瞳」と称されるブレッド湖など、自然に恵まれた穏やかで美しい国です。元は南スラブ系の民族で六世紀頃から始まった民族大移動の波に乗ってこの地に住み着くようになったといいます。

そのスロヴェニアには、国家誕生にまつわる古い言い伝えに「そば」が登場するこんなお話があります。
・・・かつて南スラブ人が住んでいた土地は温暖で陽射しの降り注ぐ、とても豊かな土壌でしたが、やがて人口が増え、土地は不足するようになります。争いを好まない人々は、その豊かな土地を去ることを決意します。 神様はその気持ちに感動して、人々にそばの種を分け与え、「旅先で好きなところにこの種を播き、3日以内に芽が出たなら、そこがあなた方の居場所です」と告げたといいます。しかし黒海の海岸沿いも、ポーランドの平原も、ドイツの山脈でも芽が出ることはありませんでした。 そして、やっと芽が出たのが、現在のスロヴェニアの地だったです。やがて蕎麦は白い花を咲かせ、たくさんの蕎麦粉に恵まれたのだ、というのです。・・・

そばの生産は比較的遅く1400年頃からロシア・ウクライナを経て伝えられたもので、その後フランスなどのヨーロッパ各地へ広がって行きました。 新規に参入したばかりのそばは未だ課税の対象になっていなかったので貧しい農民たちに大変喜ばれたといいます。その上そばはやせた土地でも育つことや、小麦や大麦を収穫した後の間作に適したこともあって大変貴重な作物として広く一般に普及して行ったのです。現在スロベニアには3000haのそば畑があり、毎年3000tの収穫があるといいます。人口当たりの年間消費量は約1.5㎏になり日本の約2倍という計算になります。隣諸国からの輸入や農村の自家消費分が算入されていない可能性が高いので、実際にはもっと多い数倍)のではないかと思われます。

 スロベニアのそば食の特徴は他の諸国と比較にならないほど多様な料理に活用されていることです。例えば粒食では、先ず「カーシャ」(そば粥)があります。そば米として食べるだけでなく、腸詰め(「カラバビッツエ」)にも使われ幅広く活用されています。粉食としては、先ず日本のそばがきに似た「ジガンツイ」や「ボレンタ」(セモリナ粉を使用する)があります。「ズレバンカ」は日本のおやきに似た料理で北スロベニア地方の郷土料理として有名です。「シュュトルクリ―」はそば粉をクレープ状に焼き、その上にチーズをたっぷり乗せてロール状に巻いて食べます。そのほか「そばパン」「そばピザ」「「そば団子」「そばケーキ」等々、活用の多様さに驚かされます。

 スロヴェニアには古くから伝わる歌に「スロヴェニア中にソバの花が咲いている」があるそうですし、先述しましたように国の始まりに「そば」がかかわっている世界でも珍しい国です。またスロベニア語ではそばのことを「アイダ」(ajda)といいますが、その「アイダ」は伝統的に女性の名前として使われてもいるといいます。 これだけ「そば」が民衆の生活に関わり愛されている国を私は知りません。スロベニアは小国ではありますが、世界一の「そば大国」だといってよいのではないでしょうか。

 ご興味のある方は、日本で唯一スロベニア料理専門店(「ピカポロンツア」)が京都(京都市右京区太秦森ケ東町29-7)にありますので是非ご賞味ください。ピカポロンツアはスロベニア語で「てんとう虫」を指し、イゴール・ライラさん(写真)がオーナーシェフとしてご夫婦(奥様は日本人)で経営しておられます。ライラさんはリューブリヤナ大学修士課程を経て昭和53年に京都大学に留学し数理生態学を研究された紛れもない学者(博士号取得)で結婚して日本に永住されたという変わり種(失礼!)です。

 

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