世界の蕎麦物語

ミラノで「二八蕎麦」が食べられる?・・ピッツオッツケリの謎

 イタリアで二八蕎麦が食べられると聞かれたらさぞ吃驚されることでしょうね。それも、イタリア北部に古くから伝わる郷土料理だといいますから二度吃驚です。イタリア最北部にあるロンバルディア州(州都はミラノ)・ヴァルテリーナからスイスグラウビュンデ州にかけての地域に名物郷土料理にそば粉で作った「ピッツオッツケリ」という名の線状麺(そば切り)があるのです。この地域はアルプス山麓の山岳地帯で、気温が低い上に土地が痩せているので昔から小麦の代わりにそばの栽培が行われていたといいます。

 「そば」と伝統料理の「パスタ」が出会えば、そば粉の線状麺(ピッツオッツケリ)が誕生するのは必然であったのかもしれません。それにしても日本の「二八蕎麦」と「ピッツオッツケリ」は作り方がよく似ているのに驚きます。ピッツオッツケリは、先ず「そば粉八に対して小麦粉二」を混ぜ合わせ、水を加えて捏ね、のし棒を使って麺状(厚み1.5mm前後)に延ばし、包丁で「幅1㎝、長さ7㎝程度」に切り揃えて作ります。日本のそばと比べると麺体が幅広く長さが短いというところは異なるものの、作り方はそっくりそのままです。

 ところで、「線状麺」の起源地は中国であることは証明済みですが、中国起源の「線状麺」とイタリアの「パスタ」のつながりはいまだ不明なのです。イタリアのパスタの歴史も古いのですが、既にその時代には中国には「麺」があり、西方カスピ海辺りまで伝播していたと考えられるので、誰かがアジアから「線状麺」をイタリアに伝えたのではないかと考えるのが自然でしょう。  その筆頭に挙げられるのが実は誰あろうあのマルコ・ポーロなのです。中世にヨーロッパから中国を訪れた人物といえば、まずマルコ・ポーロの名前が頭に浮かんでくるのは当然といえば当然なのかもしれませんね。

 「マルコ・ポーロ説」にもいろいろあって、その一は「マルコポーロが中央アジアのプハラに立ち寄った折に、麺という食べ物を初めて食べておいしいのに感動しその後何回か楽しむうちに、麺をイタリアに持ち帰ろうと思いついたのですが、麺が折れないように柔らかい麵一本一本に細い針金を通して持ち帰ったといいます。それがマカロニに孔が空いている理由だ」というオチまでついているのです。
 その二は「マルコ・ポーロの部下にスパゲッティーという名の男がいて、大陸に上陸した折に。偶然そば粉を捏ねているところに出会い、これは航海食料に利用できそうだと直感して、住民から原料の粉や出来上がった麺を分けてもらい船に戻って見よう見まねで修練を積み、帰国してから作り方を人々に教え、それが広まったのでこの麵に「スパゲッティー」という名がついた」という説です。

 この話を「文化麺類学ことはじめ」の著者・石毛直道氏(注1)は、「いずれも作り話だと考えてよいだろう、一人の人物によって地球上の離れた地域の文化が一度だけ伝えられ、それが新しい土地に定着する可能性は小さい。もし、イタリアの麺状のパスタが外来の文化の影響によって成立したものであると仮定したとき、それは持続的交流関係をもってイタリアに隣接する地域に、麺状の食品を作る文化があったからだと想定するのが、素直な発想というべきものであろう」と述べています。
 中国に起源し西方はカスピ海までつながる麺文化が、イタリアのパスタ文化と何らかの繫がりを持つていたのか、それとも全く無関係に夫々独自に発展してきたものか今もって分かりません。石毛氏はこれを「ミッシング・リンク」(失われた鎖の輪)と呼んでいます。まさしく麺研究の空白地帯なのです。興味がそそられるところですね。

 長々と「そば」とは直接関係のない話を続けてきましたが、日本で独自に発展したそば切り文化・・・中でも「二八そば」の作り方が約1万㎞離れたイタリア北部の「ピッツオッツケリ」に酷似していることも不思議といえば不思議なことだといえます。
 日本のそば切りは一部を除き生麺のまま茹でて食べるのが普通ですが、ピッツオッツケリの多くはパスタと同様に乾麺にされるようです。食べ方もこの上もなくシンプルな日本のそば切りとは違って。茹でたちりめんキャベツ、ジャガイモを加えてチーズとニンニクとセージで風味をつけたバターを溶かしてたっぷり和えるのがピッツオッツケリの定番です。ここには両国の食文化の違いがはっきり表われています。文化とは面白いものですね。

 ピッツオッツケリの外にイタリア北部には「ボレンタ・タラーニャ」があります。日本でいえば「そばがき」にあたる食べ物で、トウモロコシ粉にそば粉を混ぜ合わせて作るもので、これにグリルしたソーセージや牛肉のトマト煮込み、目玉焼き、目玉焼きなどを添えて頂きます。

 ピッツオッツケリを食べてみたいと仰る向きには、京都二条城前駅近くのイタリアレストラン「サラザン・イル・ヴィアーレ」をご紹介します。
 私がこのお店でピッツオッツケリを初めて食べたのはかれこれ十年近く前のことです。石毛直道さんの著書「文化麺類学ことはじめ」でピッツオッツケリの存在を知り、東京を中心に食べさせてくれるお店を探したのですが、なかなか発見できず行き詰まっているときに、ひょんなことから京都の二条駅前にある「イル・ヴィアーレ」さんが月決めでイタリアの郷土料理を順番に紹介していることを知ったのです。早速駆け付けたのですが、なんとその日が「ピッツオッツケリ」の最終日でした。オーナーシェフの渡辺さんからイタリア郷土料理食べ歩き体験談を聞きながらピッツオッツケリの味を噛みしめたのを覚えています。日本の蕎麦とは全く異種の料理でしたが、求めていたものを探し当てた感動に浸ったものです。

果たして現在メニューにあるかどうか?・・・未確認ですが・・・ご興味のある方にはお勧めです。1万㎞離れたイタリアに「二八風そば」が存在するという歴史の謎、考えるだけでも楽しくなるではありませんか。

 

(注1)石毛直道  1937年~  文化人類学者。国立民族学博物館元館長。令和3年文化功労章受章。そば・麺に関する主な著作。「文化麺類学ことはじめ」「麺の文化史」

 

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