世界の蕎麦物語⑥

      そばの祖先地・中国の「そば食」の現在・・・

 京都大学の大西近江元教授が中国の南部三江地帯でソバの祖先種を発見したのは1990年のこと。スイスのド・カンドールによる「シベリア・
黒竜江地域説」を百数十年ぶりに覆した快挙でした。大西氏が主宰した研究室は、かつて木原均氏が「コムギの祖先種」を発見(1955年)した由緒ある研究室で、大西氏は木原氏の細胞遺伝学のお弟子さんだったのです。京都大学は別名「探検大学」とも呼ばれるほどフィールド学術探検を得意とする学者(今西錦司・西堀栄三郎・桑原武夫・中尾佐助・川喜田二郎・梅棹忠雄氏等)を輩出したことで有名ですが、大西氏もその伝統を受け継ぎ、「ソバの祖先種」を求めてコツコツと中国南部三江地帯(写真)を歩き(ほとんど単独行)続けていたのですが、その瞬間が突然訪れたといいます。

 大西氏は祖先種発見の瞬間を次のように語っています。「突然の幸運は1990年秋の調査でやってきた。雲南省中西部の永勝県の県都永勝から隣の麗江県(現在は麗江市)の麗江行きのバスに乗り、途中、五郎河の発電所前で降りた。降りた目の前の崖に野生のソバが生えているではないか。一見して、ソバの、野生祖先種ではないかと思った」と・・・。大西氏は「幸運だった」と淡々と述べておられますが、「幸運」とは単なる偶然で起きるものではなく、努力の継続から来る「必然」の結果であったと思います。

 それはさておき、現在世界で食べられている「そば」はすべてこの中国三江地帯を起点として世界に向けて三方向から伝播して行ったことが解明されています。一つはヒマラヤ山脈の南面伝いにブータンを通ってネパールに入りインド北部からパキスタンに至るルートです。あとの二つは、起源地から北上してモンゴルに入りそこから、シルクロードを通ってウクライナ・ロシアに入りヨーロッパ各国へ伝搬した西ルートと、華北から朝鮮半島を通って日本へ至る東ルートに枝分かれしたといわれています。
 黄河と(わい)()の流域に囲まれた華北平野は起源地からモンゴルに至る通り道であり、中国におけるそばをはじめ穀物の主生産地であると同時に麺食発祥の地でもあるのです。九世紀頃のそば栽培の様子を白居易が漢詩に残しているので紹介しましょう。

    霜草蒼蒼虫切切 村南村北行人絶

   独出門前望野田 月明蕎麦畑如雪・・・(注1)

 山西省は華北平野に隣接した位置にあり、既にそばの栽培が住居の近くにまで及んでいる様子が分かります。
 白居易(白楽天)はご存じの通り唐代中期の代表的な漢詩人ですが、前記の「村夜」は首都長安から失意のまま郷土・山西省太原郡に帰った際(881年)に詠まれた詩だとされていて、当時を窺う貴重な資料になっています。
 
 中国はロシアに次ぐ世界第二位のそば生産国であり、我が国そば消費量の七割近くを中国からの輸入に依存しています。ところが中国のそば食の実態については案外知られておらず、研究調査報告も極めて少ないのが実態なのです。一般的には、東北部からさらに北のモンゴル自治区などの僻地周辺や南西部の雲南・四川・貴州などの高地に住む少数民族はそばを常食していたといいますが、中国の大半を占める漢民族はあまりそば食を好まず、そばは家畜の飼料だとして蔑視していたと伝えられています。

 とはいえ、中国は麺文化発祥の地であり、山西省はその中心地なのです。山西省は食事の中心が麺であったことから、小麦の白麺(バイミェン)、そばの蕎麺(チャオミェン)、大豆の豆麺(ドウミェン)、トウモロコシの玉米麺(ユイミーミェン)、エンバクの莜麺(ヨウミェン)など各種の麺が作られています。本稿では、内モンゴル自治区周辺の少数民族が常食としたといわれるそば料理について、大妻女子大学の松本憲一氏らの調査報告「内蒙古自治区のそば料理」(1995)を参考にご紹介したいと思います。中国南西部の四川・雲南・貴州などに住む高地民族のそば食(韃靼そば)については紙面の都合上、次稿「高地民族のそば食」に譲ります。
 内モンゴル自治区は降雨量が少なく乾燥し、表土の流失、土地が痩せているなど、厳しい環境の中で牧畜遊牧民としてソバ・トウモロコシ・アワ・ジャガイモなどを中心とした食文化を作り上げてきたのですが、最近では米や小麦に押されて、その伝統的食文化も次第に忘れ去られようとしているといいます。
 松本氏らの調査は内モンゴル自治区に住まうモンゴル族系と漢民族系の一般家庭を十日間にわたって一軒一軒回り丹念に聞き取りをされた貴重なものですが、予想以上に多様な「そば料理法」が報告されています。

 先ずモンゴル族系の家庭では「茹でる料理」として、日本とほぼ同じやり方・手順で作られる「線状麺」があります。包丁切りの「ネリンタン」と押し出し式の「ヘイロ」〈写真〉があって、茹でた麺にスープをかけるか煮て食べるのですが、形を四角に切る「トゴルタン」や三角形に切る「ホルスナプチ」、猫の耳に形が似ている「モルンチフ」等があるそうです。線状麺以外では、そばすいとん風の「シナガタン」や「ゴージルタン」ヨーグルトをかけて食べる「スーティータン」等があり、日本と比べて遥かに多様な料理があるようです。
 また「焼いて食べる料理」では、「ヘイムクポープ」(そばピザ)・「シャルピン」(そば薄おやき)・ホスランポープ」(そば焼き)等があるといいます。
 一方、漢民族系の家庭では、「ポーメンディル」(両柄切そば)・「トージョメン」(そば刀削り麺)・「ジュンジー」{そば蒸し饅頭}等があるのですが、モンゴル族系の家庭ではほとんど作らないといいます。
 モンゴル族と漢民族はそれぞれ異なった製法で料理を作っているようで、漢民族はモンゴル系族と違って蒸し器などの調理器具を多く使うのが特徴です。漢民族の食文化は農耕民族の伝統を残したものだといえそうです。それに比べてモンゴル族の料理は最小限度の調理器具で、しかも短時間で簡単に料理する傾向が顕著だといいます。遊牧民族時代の食習慣が今日でも残っているのではないでしょうか。
 農耕民族と遊牧民族の食文化は互いに影響を与えつつも同化せず、夫々の伝統を色濃く残して時を刻んできたように思われます。
 中国に多く住んでいる少数民族の夫々の行方に思いを馳せざるを得ないのです。


 (注1)日本語訳 深く虫すだく 村の道には人影もない 独り門前に出で山野を望めば 月明らかにして蕎麦(きょうばく)の花雪の如し。

 

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