世界の蕎麦物語⑦

  高山民族を支える「韃靼そば文化」

中国・雲南・四川からヒマラヤ山脈の南麓にあるブータン、ネパール国に至る高地の夏は、濃いピンク色をした蕎麦の花、黄色の菜の花、緑色をした麦等が畑一面に織りなしていて、例えようもなく美しく絶景だと紹介されています。その濃いピンク色のそば花こそ、我々が日ごろ口にしている「普通そば」とは種の異なる「韃靼(だったん)そば」なのです。中国のイ(彝)族(注)を初めブータンやネパールの高地に住む人たちは昔から韃靼そばを常食していました。それは「韃靼そば食文化」というに値するものであるといえましょう。高地では小麦やコメなどの栽培はもちろん、普通そばも栽培が困難なのです。ところが韃靼そばだけは4000mの高地でも栽培が可能でした。高冷地作物と呼ばれ寒さに抜群の耐性を備えていたためなのです。

 韃靼そばは普通そばと同様にタデ科の植物ですが、普通そばと違った特性を持っています。まずは、普通そばと異なり「自家受粉」なので昆虫などの媒介を必要としないので、単収量が普通そばの2~3倍にもなるといわれています。さらに特筆すべきは、「普通そば」も毛細血管を丈夫にして血圧を低下させるポリフェノールの一種である「ルチン」を含有しているのですが、「韃靼そば」はその約100倍もの「ルチン」があることです。なぜ韃靼そばにルチンがそんなに多いかというと、標高の高い場所では紫外線が過度に強く有害なので、韃靼そばは紫外線から身を守るために、体内にルチンを大量に作り出しいるためだと考えられています。(左上の写真が「韃靼そば」の種子で、左下が(「普通そば」の種子)

 高地民族たちがそばを常食するようになったのは、「韃靼そば」しか育たなかったことが主な理由ですが、高地生活に韃靼そばが必要だった側面があることも見逃してはならないと思います。高い峠を越えて山の向こう側に用事が出来た時などには、彼らは必ず体力持続のために韃靼そばを食べるのが常日頃の習慣になっているのです。

 エベレスト山麓に住むネパールのシェルパ族はご承知の通りヒマラヤ登山に欠かせない存在ですが、彼らは4000m級以上の峠を越えるとき等には必ず韃靼そばを食べるといいます。標高の高い処では人間の血液はドロドロになるのですが、韃靼そばを食べると血液がサラサラになることが分かっています。つまり高地民族と韃靼そばの関係は多面的であり数百年の歴史の積み重ねの中から作られてきたといってよいでしょう。高地民族の健康は韃靼そばが支えているといっても決して過言ではありません。

 故川崎晃一名誉教授(九州大学)がそばを常食するネパール・ムスタン住民を30年にもわたって医学的な立場からの調査したところ、高血圧者が皆無であることが確認されています。日本では、歳をとると血圧が上昇するのが一般的ですが、ネパール・ムスタンではこの常識は通用しません。血圧は食塩の摂取量や年齢に関係無いというわけです。

 ば評論家・片山虎之介氏の著書「中国ダッタン蕎麦紀行」によれば、イ族の部落には風邪以外に病気に罹ることがないそうです。老人は病むこと無く寿命を全うする、つまりすべて老衰で眠りにつくのだというのです。信じられないことですが、これは事実なのです。日本では老いたら生活習慣病(癌・心疾患・脳血管障害等)になるのは当然のことだと考えるのとは大違いですね。このようにイ族にとって韃靼そばは、単に食生活を支えているだけでなく生活そのものを支えているわけです。とはいっても、時代と共に食生活多様化の波は彼らが住む高地にも次第に及んでいると伝えられます。彼らの生活に今後どのような変化がもたらされるのか世界の注目が集まっています。(右写真:イ族の女性

 さて最後に、韃靼そばについてもう少し述べておきましょう。

 「韃靼そば」という呼び名は、ドイツの植物学者ゲルトネルが命名したFagopyrum tataricum(「タタール人のそば」)という意味の学術名から来ているのですが、モンゴル地方に住んでいたタタール族(遊牧民族の古い呼び名)が古くから栽培してきた「(にが)そば」を、タタール人を表す韃靼(ダッタン)という漢字を用いて、日本では「韃靼そば」と呼ぶようになったというわけです。

 主な生産地は、ロシア、モンゴル国、ネパール、中国の内モンゴル自治区・雲南省・四川省などの標高1500~3000mの亜高山地帯なのです。韃靼そばは普通蕎麦よりも時間をかけて実を結び、実の色も形も普通蕎麦とは異なっていると同時に、栄養面でも約百倍ものルチンを含んでいることは記述の通りですが、その他にも19種のアミノ酸や、タンパク質、ビタミンB1・B2・B12、カルシウム、マグネシウム、リン、亜鉛、鉄、クロム、そして若さを保つミネラルとして注目される「セレン」等がたっぷり含まれているのです。

 日本では昭和60年頃(1985~)に岩手大学の笠原順二郎名誉教授がバイカル湖周辺(或いはモンゴル自治区)から持ち帰った16粒のそば種子をもとに岩手県軽米町(かるまいまち)で本格的な栽培を行なったのが最初だと記録されていますが、その時はあまり注目を集めることはありませんでした。1997年に日本経済新聞で紹介されてから次第に注目を集めるようになったといいます。一般の蕎麦屋でもダッタン蕎麦を扱うところが散見されるようになり、「韃靼そば茶」等も販売されるようになりました。2000年頃になって興ったワインやチョコレート等のポリフェノールブームと軌を一にしていると思われます。

 とはいえ「韃靼そば」を品書きに加えているお蕎麦屋さんは残念ながらまだ少数派です。韃靼そばには少し苦みがあるので、好まれない方が多いのかもしれません。私が韃靼そばを食べたのは、京都・四条烏丸近くの蕎麦屋「笹屋」が最初でしたが、普通そばに韃靼そば30%を加え苦みを薄めて食べやすくしていました。ぜひ一度お試しになってはいかがでしょう。

 蛇足ながら、「そば湯」を是非飲むべきだという説明の中に、ルチンが沢山溶け出しているとする俗説があります。実際にはルチンは非水溶性なのでそば湯に溶け出すことはありません。お間違えの無いようにお願いします。もちろん、そば湯には水溶性の栄養素(ビタミンB群やたんぱく質・食物繊維等)が多く含まれていますし、冬場には体を温めるのにも最適です。是非お飲み頂きたいのは言うまでもないことです。

 (注)小数民族といっても、イ族(彝)は中国全土に約600万人、雲南省だけで500万人暮らしているのですが、現在でも韃靼そばを主食とした生活を送っているのは山間部の部落だけだといいます。

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