蕎麦の常識非常識②

    「そば前」ってご存じですか?       「酒と蕎麦」の食文化   

 東京の蕎麦屋を訪れると昼間だというのにひとりつまみを前に盃を手にしている姿を見かけることが珍しくありません。関西では滅多に見られない情景だといえます。
 ぶらりと来て気楽に入った蕎麦屋、つまみで一杯やって盛りそばで小腹を収めるのが江戸から東京に伝わった江戸っ子の習慣のようです。ひとり酒を飲む姿は蕎麦屋にぴったりだと思うのですが、私の勝手な思い込みでしょうか? このようにそばを食べる前に飲む日本酒をそばの通人たちは「そば前」と呼びます。なぜ「そば前」というのでしょうか?

 昔の蕎麦屋は客の注文を聞いてから蕎麦を打つのが普通だったといいます。だからそばが打ち上がるまでの無聊を慰めるために、蕎麦屋はお客に日本酒を奨めるようになり、それが次第に習慣として定着したといわれています。また蕎麦屋の酒は特別旨いというのが評判になったことも、「そば前」の習慣を後押しすることになったようです。決して蕎麦屋が特別美味しい酒を出していたわけではありません。当時の居酒屋は、儲けるために酒を水増して売ることが多かったといいますが、蕎麦屋は本業の「そば」で儲け、日本酒は生のまま出していたというのがことの真相のようです。

 では、最初に「そば前」の習慣の切っ掛けを作ったのはいったい誰なのか気になるところですね。
 徳川家康がお国替えで駿府から江戸に入ると、将来に備えて江戸の町造りや江戸城の普請が始まりました。江戸城外濠の北側、現在の内神田二丁目辺りは鎌倉河岸(注1)と呼ばれ資材の積み込み積み下ろしが盛んになり、武士、職人、商人などが集まるようになったといいます。そこに目をつけたのが初代豊島屋十右衛門(注2)でした。上方からの良質な“下り酒” を商う「飲み屋」を開業し(写真・江戸名所図絵「鎌倉町豊島屋酒店白酒を商う図」)、酒の空樽を醤油や味噌造りに再利用・転売することを思いついたのです。その利益で日本酒と一緒に豆腐田楽を破格の値段で売り、爆発的な人気を得るような商売上手でもあったようです。「鏡割り」のイベントを考案したのも、蕎麦食の前に日本酒を一杯やることを思いついたのも彼だったと言われています。とにかく十右衛門は大変なアイディアマンだったのです。 
 かくして蕎麦前の習慣は次第に江戸を中心に広がりを見せて行くのですが、江戸時代中期になると、上方へ対抗する意識が高まりいわゆる「江戸っ子気質(かたぎ)」が誕生します。蕎麦前の習慣はこの江戸っ子の美意識である「粋」や「潔さ」とマリアージュしながら、さらに洗練・変容を続け今日まで根強い伝統として受け継がれてきたといえます。

 漫画家でNHKのテレビ放送・コメディー「お江戸でござる」(1995~2004年放送)で一躍脚光を浴びた故杉浦日向子さんは、この食前酒の習慣をエッセイ「夕焼けに頬染めて」(雑誌「太陽」1998年12月号))に見事に表現しています。その一節を引いてみましょう。
 「まだ陽の高い表通りから、一歩入ると、店内は沼のほとりのように、ひそやかだ。(中略) いい午後だ。特別なものは何もない。究極とか、絶品とか、眉を吊上げる空気は、ここにはない。(中略)いいそば屋には、居心地の良い午後が宿る。軽いつまみで、一、二合。そばをたぐって、そば湯を楽しんで、四十分もあれば、きちんと堪能できる。そんな束の間の休息でも「ごちそうさま」と、のれんをくぐるや、町はほどよく暮れなずみ、夕陽が頬を染め、気持ちは、ふっくり満ちている。まるで湯上がりの爽快感。だから長湯(長居)は野暮なのだ」
 
 何と豊かで贅沢な時間の過ごし方ではないでしょうか。

 ゆったりと流れて行く時に身を任せ、時間に拘束される日常からの脱出こそ最高の贅沢だといえましょう。江戸っ子はそば前に「粋」と「潔さ」を求め、現代日本人は「日常からしばしの離脱」を求めているのです。我々は、これほど豊かでくつろげる時間を日常の中に持っているでしょうか?

 広く海外に食前酒を飲む習慣を探してみました。ご存じ、フランスに「アペリティフ(略称;アペロ)」の習慣があります。主にスパークリングワインとおつまみで食欲増進と会話を楽しむフランス人には欠かすことの出来ないライフスタイルなのです。仕事モードからプライベートモードに気持ちを切り替える役割もあって、食事を重んじるフランスらしい習慣と言いえるのですが、起源を訪ねると十八世紀末頃、イタリア・トリノの貴族の間で始まったたようで、イタリアでは「アペリティーヴォ」と呼ばれ、主にカンパリ(リキュールの一種)が飲まれていたといいます。都市国家の歴史を持つイタリアらしく各地で多様な形で展開されていて、ローマ以北では一般的にビュッフェスタイルだそうです。
 一方、フランスでは農水省が2004年以降、毎年六月の第一木曜日を「アペリティフの日」と定めて、この習慣を世界に広げるための活動を始めているといいます。日本の「そば前」の起源は遅くとも十七世紀初頭の頃だといわれていますので、イタリア・フランスに先んずること約200年・・・日本は食前酒の大先輩格と言って決して過言ではありません。豊かで粋なライフスタイルを既に四百年余も前から持っていたことに誇りをもって良いのではないでしょうか。

 最後に、美味しく蕎麦前とそば切りを頂くためのアドバイスを少々・・・。

 時折、そば切りを肴に、談笑しながらお酒を召し上がっている姿を拝見することがあります。これはこれで楽しいひとときを過ごされているのですから、とやかく口を挟むことではないのですが、蕎麦を美味しく食べるという観点から申し上げると、これは邪道です。せっかく打ち立ての蕎麦なのですから、伸びる前に(分秒を争う)是非ともお召し上がり頂きたいものです。蕎麦屋の(あるじ)はハラハラしながら見ていると思いますよ。

  (注1)         相模の国鎌倉から送られてきた石や木材などを積み下ろす場所で武士から町人まで大勢の人が集まったといわれています。

 (注2)         豊島屋は1596年創業の業界最古の老舗です。 現在も手広く酒類製造販売を行っています。400年を超える長寿企業として健在で、     日本の誇りともいえましよう。文中の写真は「江戸名所図絵」に掲載された当時の豊島屋店頭風景です。特に「白酒」で有名。

 (注3)         「下りもの」とは上方の良質な物資のことを指し、反対に「下らないもの」とは、上方産ではない関東産のものを指した言葉です。


 

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