蕎麦の常識非常識④
    ソバの花言葉は、何故「あなたを救う」なの?

 花言葉」の発祥の地は、17世紀のトルコだといわれています。
 当時トルコで最も愛されていた花はチューリップ(トルコが原産地)だったそうです。16世紀、トルコからヨーロッパに伝わったチューリップは、あっという間に人々の心を魅了し、球根が高値で取引されるバブル経済(あの有名なオランダの「チューリップバブル」)を引き起こしたほどでした。愛らしい姿と豊かなバリエーションを持ち、世界中の人々に愛されてきました。品種改良もすすみ、現在では8000~10000品種もあると言われています。

 チューリップは愛を伝える花としても古い歴史を持っています。愛の告白のために、花に意味を込めて花束を贈り、贈られた側もその返事に花束を贈ったアラビアの“セラム”という風習に遡るといいます。その習慣がフランスへと伝わり、恋愛に関する意味が花に込められるよう形を変え、求愛の手段として「花言葉」が誕生したということのようです。  

 さてそこでそばの花言葉ですが、「懐かしい思い出」「喜びも悲しみも」「あなたを救う」が代表的で一般的に知られているようです。ところが不思議なことに、海外諸国でそばの花言葉を見つけることは出来ませんでした。作物でも、小麦などのように、花言葉(富・裕福・繁栄・希望」)が付けられているものも少なくないのですが、海外ではあの小さく可憐なそばの花にはあまり関心が持たれないのでしょうか。そばの花は日本人好みなのかもしれませんね。

 ところで「懐かしい思い出」「喜びも悲しみも」はともかく、「あなたを救う」がそばの花言葉というのはどうも違和感があります。なぜ蕎麦が「あなたを救う」なのでしょうか?

 「そば」という言葉が最初に出てきた文献は、「続日本(しょくにほん)()」に記載されている元正天皇(第44代・奈良時代の女帝・父は草壁皇子,母は元明天皇)が発した詔勅(養老6年・722年)であると言われています。元正天皇が即位した養老6年は災害や旱魃が多く、天神地祇に祈ってみたが効果がない日が続いたといいます。そこで元正天皇は、全国へ詔勅を発したのです。

 「今年の夏は雨が降らず、稲の苗は実らなかった。そこで全国の国司に命じて、人民に勧め割り当てて晩稲、蕎麦、大麦、小麦を植えさせ、その収穫を蓄えおさめて、凶年に備えさせよ」(今夏雨無 苗稼不登 宣令天下国司勧課百姓 種樹晩禾蕎麦及大小麦 蔵置儲積 以備年荒)

 そうなんです。そばは元正天皇以来、徳川幕府から諸大名に至るまでコメの不況不作に備える穀物として栽培をするよう民百姓へ推奨されてきたのです。その代表例は寛永の大飢饉(寛永十九年・1642年前後)です。徳川幕府(徳川家光)は雑穀を用いるうどん・切麦・そうめん・饅頭・南蛮菓子・そばきりの製造販売を禁止し、御救小屋を設置して難民の収容や穀物の提供等、具体的な飢饉対策を指示する触れを出しました。これは、キリシタン禁制と並んで、幕府が全国の領民に対して直接下した法令として着目されています。またこうした政策は、後の江戸幕府における飢饉対策の基本方針とされるようになり、このとき譜代大名を飢饉対策のために、領国に帰国させたことがきっかけとなって、譜代大名にも参勤交代が課せられるようになったといわれています。
 災害大国・日本には、大雨、洪水、冷夏等によって、享保の大飢饉(享保17年・1732年)、天明の大飢饉(天明2年・1782年)、天保の大飢饉(天保4年・1833年)などが続き、ソバや青木昆陽によって開発された甘藷等の救荒食が重要視されてきた歴史があります。 
 この状態は第二次世界大戦の戦中・戦後にもおよびました。昭和18年6月に食糧事情の悪化から「食糧増産応急対策要綱」が閣議決定され、北海道庁は7000㏊の休閑地を「報国農場」に指定し、その3分の2で急遽ソバを増産することになり、東京を中心に本土から北海道へ人が派遣されたということがありました。(写真は日本一のそば生産地「幌加内」の風景)
 また戦後には、1970年頃から始まった国の農業政策の大転換(コメの減反政策)によって、全国各地に多くの休耕田が生まれ、各自治体はその対応に奔走したのですが、代替作物としてソバが選ばれることが多かったのです。それにはソバの特性が大きく関係していると考えられます。まず挙げられるのが、栽培期間が75日と非常に短い(小麦は8~9ヶ月、米の5~6ヶ月、救荒食といわれる甘藷でも4~5ヶ月かかるのです)こと、また畝立てが不要で不耕栽培が可能であることです。それだけではありません。ソバが含有するルチン・カテキンなどの作用で他の植物の生育を抑制するアレロパシー(他感作用)という特性があるため雑草処理の必要性が無く。省力栽培することが出来るのです。ことほど左様にそばは飢饉を助け、休耕田にソバ畑を作り、農村の老齢化による労働力不足に大いに役立ったわけです。派手さはないけれども地味に着実に「あなたを救う」役割を果たしてきたといえるのではないでしょうか。

 困ったときの神頼みならぬ「そば頼み」?・・・

 最後に五島列島に伝わる、人助けのそば花伝説を紹介し、本稿を終えたいと思います。
 「海岸近くの畑で老夫婦がソバの種を蒔いていたところへ、キリシタンと思しき男が逃げてきて助けを求めた。老夫婦は哀れに思い崖下の洞窟をおしえてやった。間もなく数人の役人たちが追いかけてきて農夫に問うた。『確かに通りました。ソバの種を蒔いているときでした』と答えると、役人たちは『そうか、よほど前のことだな』といって立ち去ったという。畑は一面ソバの白い花で覆われていたのだ」(田中千代吉*著「久賀島のキリシタン」より)

 *田中千代吉 第14代久賀島小教区司祭を務めた。


 

 

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