蕎麦の常識非常識④ ソバの花言葉は、何故「あなたを救う」なの? 「花言葉」の発祥の地は、17世紀のトルコだといわれています。 チューリップは愛を伝える花としても古い歴史を持っています。愛の告白のために、花に意味を込めて花束を贈り、贈られた側もその返事に花束を贈ったアラビアの“セラム”という風習に遡るといいます。その習慣がフランスへと伝わり、恋愛に関する意味が花に込められるよう形を変え、求愛の手段として「花言葉」が誕生したということのようです。
さてそこでそばの花言葉ですが、「懐かしい思い出」「喜びも悲しみも」「あなたを救う」が代表的で一般的に知られているようです。ところが不思議なことに、海外諸国でそばの花言葉を見つけることは出来ませんでした。作物でも、小麦などのように、花言葉(富・裕福・繁栄・希望」)が付けられているものも少なくないのですが、海外ではあの小さく可憐なそばの花にはあまり関心が持たれないのでしょうか。そばの花は日本人好みなのかもしれませんね。
ところで「懐かしい思い出」「喜びも悲しみも」はともかく、「あなたを救う」がそばの花言葉というのはどうも違和感があります。なぜ蕎麦が「あなたを救う」なのでしょうか?
「そば」という言葉が最初に出てきた文献は、「続日本紀」に記載されている元正天皇(第44代・奈良時代の女帝・父は草壁皇子,母は元明天皇)が発した詔勅(養老6年・722年)であると言われています。元正天皇が即位した養老6年は災害や旱魃が多く、天神地祇に祈ってみたが効果がない日が続いたといいます。そこで元正天皇は、全国へ詔勅を発したのです。 「今年の夏は雨が降らず、稲の苗は実らなかった。そこで全国の国司に命じて、人民に勧め割り当てて晩稲、蕎麦、大麦、小麦を植えさせ、その収穫を蓄えおさめて、凶年に備えさせよ」(今夏雨無 苗稼不登 宣令天下国司勧課百姓 種樹
そうなんです。そばは元正天皇以来、徳川幕府から諸大名に至るまでコメの不況不作に備える穀物として栽培をするよう民百姓へ推奨されてきたのです。その代表例は寛永の大飢饉(寛永十九年・1642年前後)です。徳川幕府(徳川家光)は雑穀を用いるうどん・切麦・そうめん・饅頭・南蛮菓子・そばきりの製造販売を禁止し、御救小屋を設置して難民の収容や穀物の提供等、具体的な飢饉対策を指示する触れを出しました。これは、キリシタン禁制と並んで、幕府が全国の領民に対して直接下した法令として着目されています。またこうした政策は、後の江戸幕府における飢饉対策の基本方針とされるようになり、このとき譜代大名を飢饉対策のために、領国に帰国させたことがきっかけとなって、譜代大名にも参勤交代が課せられるようになったといわれています。
困ったときの神頼みならぬ「そば頼み」?・・・
最後に五島列島に伝わる、人助けのそば花伝説を紹介し、本稿を終えたいと思います。
*田中千代吉 第14代久賀島小教区司祭を務めた。
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