蕎麦の常識非常識⑤ 「ヌードルハラスメント」ってご存じですか? 訪日外国人の間で「ヌードルハラスメント」という言葉が囁かれているそうです。 「セクハラやパワハラはよく耳にするが、ヌーハラは初めて」と仰る方も多いことでしょう。せっかく日本へ来たのだからと蕎麦屋に立ち寄ると、彼方でもズッーズッー、此方でもズッーズッー。いったい日本には食事のマナーはないのか、ということのようなのです。 この話で思い出すのが、プロ野球のホームラン王・王貞治氏の次女・理恵さんが数年前に、婚約者H氏(医師)のそばを啜る音を聴いて「こんな人と人生を共にできない」と婚約を破談にしたということがありました。 「そばは江戸の昔から、日本固有の食文化だから食音について他国からとやかく言われる筋合いはない」という民族派肯定論から、「いや世界の常識から外れているので食音は厳禁」という国際派否定論まで、そばの食音論争は古今を通じて喧しいのです。 三代目柳家小さんの十八番「時そば」の初演は明治時代のことですが、ラジオ放送の開始は大正十四年ですから、おそらくこの話は昭和初期のことでしょう。そばを食べる様をラジオ電波に乗せるには音が無くては話になりません。小さん師匠はそばを食べる様子を音で聞かせるためにずいぶん工夫をしたと聞きます。ラジオは仕草の見えない「音」だけの世界です。音が誇張されるのは避けられないでしょう。実際と「かけ離れる」ことになったとしても、聞き手が美味しそうだと感じてくれることの方が大事なのです。落語の芸(ズッーズッー)が実際の食べ方に影響を与えたのが本当であれば、なんとも面白い話ではありませんか。 一方、「江戸ソバリエ」を主唱されるそば評論家のほしひかる氏は「そばは音を立てて食べるものです」と断言されます。つまり「蕎麦は空気と一緒に啜り込んだとき味と香りを堪能できる」というのが氏の主張です。 江戸時代の儒学者・山鹿素行(一六六二~一六八五)は「舌うちを高く仕り、すう音遠くきこゆるは皆小人のわざ也」(語類士道編)と述べていますし、貝原益軒の「三礼口訣」にも「飯は、大口にて食う事なかれ。羮には口音高く長くすることなかれ。凡舌打ちして食う事なかれ」とあり、笠原流礼法宗家・当代小笠原敬承斎氏は「日本においても、食事は音をたてずにいただくことが基本なのです。お蕎麦なら音をたててよい、という例外はございません」(「蕎麦を品良く粋に食べる」日経トレンディー)と説いています。 マナーの基本は他人が不愉快に感じることをしないことに尽きます。 最近の蕎麦屋にはバックグラウンドミュージックを店内に流す店が増えていますが、これもそば食が発する独特の食音を消す(緩和する)ことに狙いがあるのかもしれませんね。 西欧の食文化で育つと日本のように小さな椀ではなく、大きな平皿が使われることが多いので、手に食器をもって口元まで運んで「啜る」という習慣はありません。そのためいつの間にか「啜る」機能が退化してしまい、音を立てて啜ることが出来ないのだと説くエッセイを昔々読んだことがあります。深田裕介氏の「新西洋事情」だったと思い本棚から引っ張り出して再読しましたが見当たりません。あるいは木村治美氏の「黄昏のロンドンから」だったかも、と思いページをめくってみましたが、これも外れでした。 ラーメン発祥の国である中国、パスタ発祥の国であるイタリア、さまざまな麺料理がある韓国やベトナムにも、啜る食べ方はないそうです。どうやらこれは日本独特のスタイルのように思われます。だとすれば、「ズッーズッー」の習慣を作ったのは果たして江戸中期の江戸っ子か? それとも三代目柳家小さんの「時そば」のラジオ放送なのか? はたまた歌舞伎「雪暮夜入谷畦道」の直侍か? 真相究明への興味は尽きそうもありません。 |