蕎麦の常識非常識⑥

      「銭湯と蕎麦」の値段は連動していたって本当?   江戸の風俗・・・

 岡本綺堂(1872- 1939年)の著書『綺堂むかし語り』に「どういうわけかしらないが、湯屋と蕎麦屋とはその歩調をおなじくするもので、湯銭があがれば蕎麦の代もあがり、蕎麦の代が下がれば湯代も下がるということになっていた」とあり、現在の東京新聞の前身である都新聞で花柳芸能担当記者だった平山()江(1882-1935年)が著した『東京覚え帳』にも、「そばなり、うどんなりのかけもり一杯の値と銭湯との値段は同額でなければならなかった」と書き記されています。 調べてみると、両者は常に連動していたわけではないのですが、蕎麦代と銭湯代は同程度であるという意識が江戸時代から昭和初期に至るまで人々の中に連綿と続いてきたことは疑いのない事実と思われます。
 蕎麦・寿司・天ぷらがほぼ同時期に江戸庶民の食べ物として誕生し普及したのと同様に、銭湯もまたその時期に江戸の風俗として定着しつつあったのです。江戸は風が強くホコリがひどかったため、毎日入浴することを好む人が多かったのですが、内風呂があったのは武家など一握りの家に過ぎませんでした。水が貴重だったことや薪代が高かったことに加え火事の心配もあり、江戸一番の呉服屋「越後屋」でさえ内風呂を持てないほど規制が厳しかったといいます。青木美智男著「深読み 浮世風呂」によると享和三年(1803)には江戸市中に銭湯499軒、文化5年(1808)には523軒、さらに文化11年(1814)には600軒もあったそうです。
 内風呂を持つ家が出てきたのは、ずっと後の明治も半ば過ぎになってからのことで、それまで銭湯は江戸時代の庶民に欠かすことの出来ないものだったのです。一方、蕎麦屋の数は万延元年(1860)に3763店あった(喜多川守貞著『守貞謾稿』)とされています。銭湯と蕎麦屋は江戸の生活風俗を通じて自然に結びついていったのだと思われます。

 そば評論家の岩崎信也氏は銭湯と蕎麦屋の関係を次のように述べています。
 「かっての東京では、銭湯の近くには必ずといっていいほど蕎麦屋があったといわれる。ひとっ風呂浴びた帰りに蕎麦屋に寄って、軽く一杯ひっかけ、盛りそばで小腹を満たす。そういう客が多かった。ある都心の老舗では昭和の戦前まで、店の始まりは午前11時なのに閉店時間は夜中の2時頃だったという。銭湯の営業が終わるのが午前1時だったため、仕舞風呂の客のために店を開けていたそうである」(『江戸っ子はなぜソバなのか?』)
 岩崎氏が言うように、蕎麦は今でいうファーストフードとして広く庶民の中に普及し、銭湯もまた庶民の社交場として広く庶民に利用され親しまれてきた歴史があり、蕎麦と銭湯は共に庶民の生活と密接不可分だったので、人々の感覚では同じような値段で推移したように感じられたのかもしれません。

 価格が連動しているといえば、こんな面白い巷説があります。
 蕎麦と銭湯だけでなく「郵便はがき」の値段もそれと連動していたというのです。近代郵便制度はご存じの通り「近代日本郵便の父」と呼ばれる前島(ひそか)が明治3年(1870)に世界の先駆者である英国(1840年に近代郵便制度を導入していた)に学び導入したものですが、「郵便はがき」の料金を決める際に、蕎麦代と銭湯代が連動して変化していることに気が付き、これ幸いとばかりに当時の盛り蕎麦(5厘)、銭湯代(8厘)に肩を並べるように5厘(明治3年・『値段史』)に決定したというのです。念のために読売新聞「価格史」を調べてみましたが、確かに明治初年の「郵便はがき」の値段も、盛りそばの価格も共に5厘でした。当時の江戸庶民の中へ深く浸透していた蕎麦や銭湯に「郵便はがき」も仲間入りさせて、料金を連動させ値上げをスムーズにしようと考えたのでしょう。もしこの話が本当だとすれば政治家らしい面白い発想ではないでしょうか。

 時代が移るにつれて郵便はがき・蕎麦・銭湯それぞれを取り巻く状況と必要性は変わってきました。少なくとも「盛りそば・銭湯」と「郵便はがき」との間には全く相関関係はなくなり格差もずいぶん広がったように見えます。

 せっかく「蕎麦の値段」が話題になったので、江戸の庶民文化が本格的に爛熟したといわれる文化文政時代(1804~1830)と現在を、「盛りそば」の価格を基準にして他の商品やサービスの価格がどのように変化したかを調べてみました。商品や価格は量も質も異なったもの同士の比較なので相当の誤差が生じることはことは予めお断りしておきます。

 (文化文政時代の「盛りそば」の価格16文で現在の価格640円を割ると一文が40円になります。これを基準として両時代の相対価格を算出し比較しました。左側は文化文政時代、右側が現在の価格・・・現在の価格は「2022年総務省統計局の小売物価統計調査」を、文化文政の価格(平均)はHP「コインの散歩道」を参考にしました)

   米(1升)    260円(6.5文)    →640円(倍率2.46)
    酒(1升)    6400円(160文)     →870円(倍率0.15)
    旅籠(1泊)    6000円(150文)    →15000円(倍率2.50)
    豆腐(1丁)   1000円(25文)     →70円(倍率0.07)
    卵(1個)    260円(6.5文)     →22円(倍率0.08)
   銭湯(1人)    360円(9文)     →470円(倍率1.30)
                 盛りそば(1人前) 640円(16文)     →640円(倍率1.00)

 こうしてみると、江戸時代は米が安く、酒・豆腐・卵の値段が高いことが分かります。面白いのは倍率(文政時代と現在価格の変動率)が最も盛りそばに近いのが銭湯なのです。これは「盛りそばと銭湯」の価格が今日でも連動?しているということを物語っているのでしょうか? それとも偶然なのでしょうか?

 

 

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