蕎麦の常識非常識

     「げに、食べ物の恨みは怖い」  蕎麦の盛りが少ない?

「蕎麦の盛りが少ない」という溜息、苦情を耳にされたことはありませんか?

 関西人が東京の蕎麦屋に偶然入って、「盛り」が少ないのに吃驚することがあります。東京生まれの作家・椎名誠もエッセイ「モリソバの伝統的欺瞞を粉砕する」(日本の名随筆⑲「蕎麦」・渡辺文雄編1992年初版)の中で、「パラパラとかろうじてセイロの表面がかくれる程度にソバが薄くのせられていて、ちょっと箸ですみっこのほうからソバをからめとると、あっという間にその半分ほどがなくなってしまう、なんていうのを時々見かける。『ふざけるな!』と言いたいのである」と怒りを爆発させています。椎名が蕎麦の盛りについてエッセイで不満をぶちまけたのはこれ一度ではありません。

エッセイ「殺したい蕎麦屋」(山下洋輔編・エッセイ集「蕎麦処 山下庵」・2009年)でも「しゃれた蕎麦猪口にやや不思議に湾曲した謎楕円のセイロの上に散らばる蕎麦。散らばり具合が寂しい。どう考えても二十本くらいしかない。いつものように箸で蕎麦を掴んで五回上げ下げすると全て終了という量であった。・・(中略)・・おれはいつもの倍くらいのスローペースで食べても2分もたたなかった」と再び書いています。

 

 確かに東京の一部の老舗蕎麦屋で見受けられる現象で、コストパーフォーマンスを重んじる関西をはじめ全国の郷土蕎麦では殆どお目にかかることのないことなのです。と考えると、どうやらこれは「江戸っ子気質」に由来する東京独特の文化に関わる問題のように思われます。

 江戸っ子気質というと「粋」と言う言葉が頭に浮かびます。「粋」の反意語は「野暮」ですが、江戸っ子はこの野暮を極端に忌み嫌います。

 例えば、そばは細いので粋、太いうどんは野暮。一気に啜る食べ方は粋で、ぐくちゃくちゃと噛んで食べるのは野暮。さっと食べて店を出るのが粋で、ぐだぐだ長尻は野暮だと言った具合です。

 三代目古今亭志ん朝は幼い頃、父親から「江戸っ子は、そばをおまんまの代わりにするのはよしとしない。そばやすしで腹をふくらますのは野暮。腹が減っているのなら飯を食え」と教えられたといいます。(雑誌「太陽」1998年12月号)。いつの頃からの言い伝えなのかは判然とはしませんが、蕎麦を巡る江戸っ子伝説を物語る象徴的な挿話だと思います。

 江戸っ子(職人を中心とした一部の人達)にとって蕎麦は今でいうスナックであり、江戸っ子の粋を示す趣味食だったようです。

 また江戸っ子は概して小食だったともいいます。大飯食いを田舎者と蔑む風潮があり、間食で補うのが一般的だったようです。これは、江戸が急膨張を続ける町であり、火事と喧嘩は江戸の華といわれるほど大火が頻発したということもあって、絶えず彼方此方で建設が盛んでした。当然、大工・鳶・左官などの職人が多く住んでいて、彼らは高所で仕事をすることが多く身軽さが必須条件でした。そのために食事を分けて食べるのが習慣になっていたのだそうです。

小食の習慣が定着して、いつしか江戸っ子の「粋」(美意識)と結びついたのではないでしょうか。

  江戸には、そばの粋な食べ方に「うどん三本、そば六本」とか「そばは三つ箸半」といったものがあります。前者は一箸でつまむ適量を指し、後者は一皿を何箸で食べるのが粋なのかを表しています。単純に掛け算してみると、蕎麦の盛りは「二十一本」(6本×3.5箸)ということになります。多少誇張があるにしても江戸っ子の理想とするそばの盛りはかなり少なかったことが窺われます。

 衣の元禄から食の化政(1804~1830)時代を迎え、「蕎麦の粋な食べ方」が上方(かみがた)優位の食文化に対する江戸っ子の一点突破反撃の尖兵だったのではないでしょうか? 江戸っ子の粋は上方文化への劣等感が生んだと言っても過言ではないでしょう。

 東京に「盛り」の極端に少ない老舗蕎麦屋があるという話から、勢い余って江戸の食文化論にまで発展してしまいましたが、片手落ちになってはと思いますので、今度は蕎麦の盛りが多い蕎麦屋をご紹介しましょう。

 まず、池波正太郎が「真田太平記」(全12巻)を書くために信州上田に長逗留した折に足繫く通った蕎麦屋「刀屋」での私の経験をお話しましょう。真田城趾と蕎麦屋めぐり(「刀屋」と「おお西」を中心に)を目的に上田を訪れた時のことです。刀屋を開店直後に訪れると既に満員状態。やっと席を見つけてお目当ての「真田そば」を注文したのですが、その量を見てびっくり。想像を遙かに超える盛りだったのです。完食を常とする私としたことが、不覚にももう一軒軽く蕎麦屋でそばを食べて来たとはいえ、完食出来ずギブアップしてしまったという苦い思い出があるのです。

 ところがです。後になって、更に盛りの多い蕎麦屋が横浜にあると知りました。まだ未訪問なので詳しくは分からないのですが、「味奈(みな)()庵」の「富士山盛り」(写真)がそれです。重量が1㎏だといいますから普通の蕎麦屋のざっと4~5倍の盛りになります。ただHPでお値段を見ると500円とありますので、刀屋とは違って、話題作りの営業戦略のようにも思えます。いずれにせよ、もう量に挑戦する年齢ではないので訪問するつもりはありませんが・・・。

 いずれにせよ、椎名誠の二つのエッセイは17年の年月を隔てて書かれているのですから、その間は、「蕎麦の盛りが少ないこと」への怒りが椎名の脳裏を離れなかったことになります。プロの作家ですから、まさかネタ切れではないでしょう。

「げに食べ物の恨みは恐ろしい」ものですね。

 

 

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