蕎麦の常識非常識⑰

      日本の贈答文化・・・江戸時代の献上そば
  

下克上の天下取りに明け暮れた戦国時代(約100年間)に織田信長、豊臣秀吉が区切りをつけ、徳川家康が天下統一を完成させたのは慶長8年(1603年)のことでした。その後、15代・265年の長期にわたって徳川家が政権を維持したことは万人周知のことです。信長・秀吉時代の全国検地・兵農分離等に続いて徳川幕府も参勤交代・お国替え(転封)長子相続等・・全国統治に必要な諸制度を作り上げて行くのですが、その中の一つに「各大名から徳川家への献上」がありました。

一見するとお国自慢の名品を各大名が気ままに献上しているように見えますが決してそうではなく、献上は参勤交替やお国替等と並んで徳川幕府の重要な統治行為(領地の支配を安堵(あんど)して貰っていることへの謝礼)の一つであり、藩の規模や格式に応じて作られた厳しいルールのもとに行われていたのです。

大きくは、年始・八朔(はっさく)(8月1日)に行われる「御太刀(おんたち)金銀(きんぎん)馬代(ばだい)」、端午(たんご)(5月5日)・重陽(ちょうよう)(9月9日)の節句・歳暮の「御時服(ごじふく)献上」、四季折々の「(とき)献上」の三種類に分かれていましたが、外にも参勤交代時の「参府御礼」や「在着御礼」がありましたし、徳川家の慶事には臨時の献上も行われていました。内容も詳細を極めていて、例えば「御時服献上」は、端午には「帷子(かたびら)」を、重陽・歳暮には「小袖の綿入り」を、いずれも葵の紋付で贈ると決められていたのです。

これらの献上に対して徳川家からもお返しがあり、統治者(徳川)と領地の安堵を求める各大名はその立場を相互に確認しつつ良好な主従関係を維持していたのです。

実は、蕎麦もこの統治行為のささやかながらその一翼を担っていました。

お国自慢の献上物(時献上)として蕎麦も徳川家へ贈られていたのです。参考までに「大名武鑑」から藩名を挙げてみますと・・・

上野(こうずけの)(くに)(群馬件)小幡藩、同館林藩、同沼田藩、下野(しもつけの)(くに)(栃木県)大田原藩、信濃国(長野県)飯山藩、同諏訪高島藩、同高遠藩、武蔵国(東京・埼玉・神奈川県)岡部藩、出羽国(山形県)天童藩等があります。

なかでも小幡藩・高島藩・高遠藩からは「寒晒(かんさらし)蕎麦」が贈られていたといいます。寒晒蕎麦というのは、玄ソバ(ソバの実)を袋に詰めて厳寒期(1~2月)の清流に漬け込み、その後は戸外で寒風と天日に晒し乾燥させ、さらに夏まで土蔵で熟成させて風味を加えた、普通では入手するのが難しい「特別な蕎麦」なのです。

明治維新後数年経ってこの献上行為は全て新政府によって禁止されました。当然のことながら、幕藩制国家における身分的特権と密接に結びついた統治行為を一掃する必要があったからなのです。

 

農耕民族である日本人にとって、天候などによる災害や凶作は、命にかかわる深刻な問題でした。天災を少しでも避けて五穀豊穣を神に祈る気持ちから供物を捧げたことが、贈答のそもそもの起源だとされています。

また、収穫された穀物や果実を原料としてつくった酒などは「神饌(しんせん)」と呼ばれ、神へ捧げたあと、その場に同席した人々で分け合って飲食する「直来(なおらい)」がいつしか習慣になっていたといいます。その神事が「お互いに採れたものを分け合う」という農耕社会に引き継がれ、貴族文化華やかな平安時代になると次第に形式やマナーが整ってきて、江戸時代後期には文化(政治の道具としても)といってよいレベルにまでに普遍化したと思われます。

物を贈るという慣行は西欧社会にも見られるもので、決して日本特有の習慣ではありません。ただ日本では贈り物に関わるいろいろなマナーやルール(例えば、贈り物を受けた際は必ずお返しをする)等が暗黙の裡に互いの約束事としているのが特徴といえましょう。

贈答は外形上は物のやりとりととられ勝ちなのですが、本来は物に託したお互いの気持ちのやりとりが本質なのです。先述の通り、農耕民族・村落共同体の日本では、「供物」を捧げ、神事の後は供物を皆で分け合うというのが原点なのです。日本文化に慣れていない外国人にとっては「分かりにくい・面倒なルール」だったことでしょうね。

長期間にわたるこの(なら)わしは次第に形式化・簡略化しつつあるとはいえ、日本人の日常生活の中に今なお根強く残っています。

現在では、贈り物をするタイミングは、一般的に7月のお中元と12月のお歳暮になります。他には旅行からのお土産、知人の家を訪問する際の手土産、お正月のお年玉、出産祝い、七五三、入学祝、卒業祝、成人式、結婚、入学試験の合格祝等々です。また、最近では新たにクリスマスやバレンタイデーの贈物が加わったようです。

ところで、この贈答文化にいったいどれほどのお金が費やされているのか興味を惹かれたので調べてみますと・・・何と昨年で10兆5千6百70億円(小売りベース・矢野経済研究所調)になるそうです。国の防衛費の約2倍もあるというのですからいささか驚きました。コロナショックによって、いちど落ち込んだものの、現在は順調に回復し今年は2019年の水準を超える勢いだと同研究所は予測しています。

形式的・儀礼的なギフト市場は縮小傾向にあるのですが、母の日・父の日・敬老の日・長寿のお祝い、目上の人に贈るお祝いが拡大したのが特徴で、お中元・お歳暮も、近年では家族や親しい人に贈るというカジュアル化が進行しているといいます。

形式的・儀礼的なものから、新しいコミュニケーションツールとしてのギフト市場の拡大へどうやら構造変化が進んでいるようですね。

 最後に話をもう一度蕎麦に戻しましょう・・・徳川家へ献上されていた「寒晒し蕎麦」は明治時代に入るとすっかり姿を消してしまい「幻の蕎麦」になっていたのですが、昭和後期頃から出羽の国をはじめ会津や信州等の蕎麦処で復活への取り組みが始まりました。一度食してみたいと思われる方には、筆者の知る限りでは、関西では大阪・住吉区の蕎麦屋「寒ざらしそば芦生(あしう)」が看板メニューとしておりますのでご紹介します。ぜひお試しになってください。

https://tabelog.com/osaka/A2701/A270404/27100734/

 


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