西欧(自由主義社会)と東欧(社会主義社会)という分け方は昔からありましたが、中欧という言葉が出てきたのは東欧社会主義体制の崩壊以降のことだと思います。 あまりはっきりした定義はないようですが、一般的にはチェコ、スロバキア、ハンガリー、ポーランドを指し、西欧の精神的豊かさと東欧の物質的貧しさの二つを同時に持つのがこの地域の特徴のようです。 神聖ローマ帝国の一時代にはヨーロッパの中心として繁栄し今日に残る数々の文化遺産があるのですが、他面では過去様々な民族の支配を受け近くはソ連の圧政下で40年余りも社会主義国家でもあった稀有の国でもあります。 中欧諸国に対する歴史的興味にはつきないものがありますね。
ドナウ河畔のブダペストは本当に美しかったです。 冬のドナウは一昨年ウイーンで見ましたが印象は全く違いました。 見とれるような美しさとはこういうことを言うのでしょうか。 この周辺一体はドナウ河畔歴史地区として「世界文化遺産」になっていますが、当然のことだと思います。 写真は「漁夫の砦」からドナウ川越にペスト地区を一望したものです。 一帯に漂う情感を伝えられないのが残念です。 対岸中央に見えるのが1885年〜1902年に建てられた現役の「国会議事堂」です。 幸い見学することができましたが、内部も日本のそれと違ってそれは豪華絢爛たるものでした。 ブタベストには3泊しましたので、ブダ地区・ペスト地区をゆっくりと市内観光、近郊にある「ホーロックー」の古村(世界文化遺産)も訪れることが出来ました。 曇りでしたが気温は20℃前後で歩くのには絶好でした。
下の写真は「ペスト」側から反対に「ブダ地区」の「漁夫の砦」「王宮の丘」を撮ったもので、一段高い尖塔がマ−チャ-シ教会です。
ハンガリーは温泉の国でした。 4日目はハンガリーを代表する陶磁器の町「ヘレンド」を経てバラトン湖畔(琵琶湖よりやや小さい)の温泉町「へーヴィーズ」へ移動です。 ハンガリーは国中温泉だらけでした。 といっても日本風の温泉ではなく水着で入る温泉プールです。 海外からの大勢の湯治客で賑わっていましたが、ドイツ人が主らしく日本人は殆ど眼にしませんでした。(ガイドの説明ではハンガリー人は経済的理由で来訪者が へーヴィーズの温泉湖 バラトン湖畔はハンガリー最大のリゾート地で別荘も多く景観が続きました。 「ハンガリーのベルサイユ」と呼ばれる「エステルハージ宮殿」を訪れた後、いよいよ国境を通過してスロバキアの首都・ブラチスラバへ到着。 ドナウ河畔にあるホテルに入ったときには小雨がぱらついていました。スロバキアも昨年EU加入を果たしているので、入管手続きは管理官がバスに乗車してパスポートにスタンプを押すだけの簡単なもので終わりました。 ブラチスラバで一泊し翌朝・市内観光の後いよいよチェコへ。 5日間お世話になった現地ガイドとバスの運転手とお別れ、チェコ人に交代です。
モラビアの真珠・テルチの町並み
第一日目は小型バスで団体観光・・・ストラホフ修道院・プラハ城・聖ビート大聖堂・聖イジー教会・黄金の小道・カレル橋・旧市街地区など主要な所を訪れました。 第二日目は夫 対岸からプラハ城・カレル橋を望む
マリオネットが盛んなのは人形に語らせる被抑圧民族の知恵なのでしょうか。
海外旅行で何時も気になるのは「食事」と「健康」のことです。 折角の旅行も不味い食事の連続では台無しになってしまいます。 ところがお国柄(食文化)によって日本人の味覚に合うところ、そうでないところがあるのも事実です。 さて今回はと言うと、寒い国であるためか「味付けの濃さ」が特徴でし
健康の方ですが、家内が「ホーロックーの古村」(第3日目)で段差に足をとられて軽い捻挫をしてしまいました。 ところが同行者(夫婦3組+女性2人)の男性3人はなんと全て医者。 手早い診察と内服薬・湿布薬を提供頂いて翌日にはほぼ回復し無事旅行を続けることが出来ました。 医者3人は夫々別々の参加なので“偶然にしては”と思っていたのですが、「医者はお盆しか旅行が出来ない。」と聞いて納得しました
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