魅惑の中欧に旅して

西欧(自由主義社会)と東欧(社会主義社会)という分け方は昔からありましたが、中欧という言葉が出てきたのは東欧社会主義体制の崩壊以降のことだと思います。 あまりはっきりした定義はないようですが、一般的にはチェコ、スロバキア、ハンガリー、ポーランドを指し、西欧の精神的豊かさと東欧の物質的貧しさの二つを同時に持つのがこの地域の特徴のようです。

 神聖ローマ帝国の一時代にはヨーロッパの中心として繁栄し今日に残る数々の文化遺産があるのですが、他面では過去様々な民族の支配を受け近くはソ連の圧政下で40年余りも社会主義国家でもあった稀有の国でもあります。 中欧諸国に対する歴史的興味にはつきないものがありますね。

さて今回の「中欧旅行」の主な日程は次のようなものでした。

 8/12関空出発・・・ヘルシンキを経由して・・・ブダペスト(3)→へーヴィーズ(ハンガリーの温泉地)→ブラチスラバ(スロバキアの首都)→チェスケ・ブジェヨビッツエ(南ボヘミア地方)→プラハ(3)・・・8/22関空帰着の11日間。

ドナウ河畔のブダペストは本当に美しかったです。

冬のドナウは一昨年ウイーンで見ましたが印象は全く違いました。 見とれるような美しさとはこういうことを言うのでしょうか。 この周辺一体はドナウ河畔歴史地区として「世界文化遺産」になっていますが、当然のことだと思います。

写真は「漁夫の砦」からドナウ川越にペスト地区を一望したものです。 一帯に漂う情感を伝えられないのが残念です。 対岸中央に見えるのが1885年〜1902年に建てられた現役の「国会議事堂」です。 幸い見学することができましたが、内部も日本のそれと違ってそれは豪華絢爛たるものでした。 ブタベストには3泊しましたので、ブダ地区・ペスト地区をゆっくりと市内観光、近郊にある「ホーロックー」の古村(世界文化遺産)も訪れることが出来ました。 曇りでしたが気温は20℃前後で歩くのには絶好でした。

下の写真は「ペスト」側から反対に「ブダ地区」の「漁夫の砦」「王宮の丘」を撮ったもので、一段高い尖塔がマ−チャ-シ教会です。

ハンガリーは温泉の国でした。

4日目はハンガリーを代表する陶磁器の町「ヘレンド」を経てバラトン湖畔(琵琶湖よりやや小さい)の温泉町「へーヴィーズ」へ移動です。 ハンガリーは国中温泉だらけでした。 

といっても日本風の温泉ではなく水着で入る温泉プールです。 海外からの大勢の湯治客で賑わっていましたが、ドイツ人が主らしく日本人は殆ど眼にしませんでした。(ガイドの説明ではハンガリー人は経済的理由で来訪者が少ないということでした。)

ホテルに温泉プールはあったのですが我々は
翌朝近くの「温泉湖」へ行きました。
湖の広さは目測100m×50mは悠にあり、水深36m、水温30℃前後の自然湖です。 湖の中央辺りに見えるのが湯治客で、写真が小さいので判別できませんが私も左の方に写っています。 深いので貸与の浮き輪をつけて入るのが規則になっています。                   

                     へーヴィーズの温泉湖

ハンガリーを後にスロバキア、チェコ・南ボヘミア地方へ

 バラトン湖畔はハンガリー最大のリゾート地で別荘も多く景観が続きました。 「ハンガリーのベルサイユ」と呼ばれる「エステルハージ宮殿」を訪れた後、いよいよ国境を通過してスロバキアの首都・ブラチスラバへ到着。 ドナウ河畔にあるホテルに入ったときには小雨がぱらついていました。スロバキアも昨年EU加入を果たしているので、入管手続きは管理官がバスに乗車してパスポートにスタンプを押すだけの簡単なもので終わりました。

ブラチスラバで一泊し翌朝・市内観光の後いよいよチェコへ。 5日間お世話になった現地ガイドとバスの運転手とお別れ、チェコ人に交代です。 


 チェコ第二の都市・ブルノを経て「モラビアの真珠」といわれるテルチへ。 この町は人口9,000人の小さなところですが、世界文化遺産に指定されたルネッサンスやバロック建築の町並みにしばし見とれて時間を過ごしました。 この後は小麦と向日葵と芥子畑の中を一路南ボヘミアへ進みチェスケ・ブジェヨビッツエに一泊しました。

   モラビアの真珠・テルチの町並み


 翌日は霧がかなり深く出ましたがチェスケ・ブジェヨビッツエの町を見学して、中世の街チェスキークロムロフへ。 この頃になると天気も快晴爽やかな日となりました。 
世界文化遺産に指定されたこの町はヴルタヴ
ァ川に抱かれるように位置していてチェスキ
ー・クルムロフ城のある旧市街地は中世その
ままの姿を残しています。 観光地と文化遺
産が共存している様はさすがと感
じました。                                                                                                                                      クルムロフ城とヴルタヴァ川の水遊び
    
 此処から北上しプラハを目指すのですが、その間にフルボカ城に立ち寄りました。 フルボカ城はイギリスのウインザー城に似たチェコで最も美しい城館といわれているそうです。 内装が大変美しく、特に木製の家具や扉には見事な細工が施されていました。

  最終目的地のプラハに向かいます。



    純白のフルボカ城


「プラハの街」を小型バスと馬車と徒歩で周遊しました。

第一日目は小型バスで団体観光・・・ストラホフ修道院・プラハ城・聖ビート大聖堂・聖イジー教会・黄金の小道・カレル橋・旧市街地区など主要な所を訪れました。 第二日目は夫

々が体力と好みに合わせての自由行動日でした。 
14世紀のチェコ王国の繁栄を偲ばせる建造物(神聖ローマ皇帝を兼ねた「カレル4世」の業績)の数々には圧倒されっ放しでした。 特にプラハ城の眺めは美しくかつ壮大だったと思います。 聖ビート教会のステンドグラス(ミューシャ作)の美しさにもしばし眼を奪われました。

対岸からプラハ城・カレル橋を望む


 一方40年間にわたった社会主義時代の痕跡は、1968年の「プラハの春」でソ連の戦車が侵入したと言われる「ヴァーツーラフ広場」も含めて、全く残っていませんでした。(これはブダペストも同じです。) 歴史とはこういうものなのでしょうか。


 自由行動日には夫婦二人で旧市街地の裏通りを馬車と徒歩で周遊しました。 プラハはウイーンやブダペストの街より古いヨーロッパの風情を残していて歴史の中に迷い込んだように思われます。

 プラハ最後の夜は「国立マリオネット劇場」に「ドン・ジョバンニ」を見に行きました。言葉(イタリア語)が判りませんので退屈する場面もありましたが、奇抜な演出の数々に満足して帰りました。       旧市庁舎・時計塔の展望台から

 マリオネットが盛んなのは人形に語らせる被抑圧民族の知恵なのでしょうか。


中欧旅行余談

海外旅行で何時も気になるのは「食事」と「健康」のことです。 折角の旅行も不味い食事の連続では台無しになってしまいます。 ところがお国柄(食文化)によって日本人の味覚に合うところ、そうでないところがあるのも事実です。 さて今回はと言うと、寒い国であるためか「味付けの濃さ」が特徴でした。この国は「血管系の病気」が多いのではないでしょうか。 レストランの差もありますので一概に言えませんが、ハンガリーに比べるとチェコの料理の方が日本人の舌に合うように思えましたが如何でしょう。 また三国とも海のない国なので、美味い魚料理には出会うことは出来ませんでした。(一般には川魚の料理が多いらしい。) 野菜は豊富なようですがパプリカの使用が多いのには驚きました。                 
  後ろに遠く見えるのが夕日に沈むプラハ城


 チェコのビールは美味くかつ安価でした。 美味く感じるのは多分乾燥した空気のせいだと思います。

健康の方ですが、家内が「ホーロックーの古村」(第3日目)で段差に足をとられて軽い捻挫をしてしまいました。 ところが同行者(夫婦3組+女性2人)の男性3人はなんと全て医者。 手早い診察と内服薬・湿布薬を提供頂いて翌日にはほぼ回復し無事旅行を続けることが出来ました。 医者3人は夫々別々の参加なので“偶然にしては”と思っていたのですが、「医者はお盆しか旅行が出来ない。」と聞いて納得しました


先ずは楽しい「中欧旅行」でありました。

                    終わり