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旅行には“自然派”と“街(文化)派”があるそうですが、強いて分けると私は文化派で家内は自然派ということになります。 これまでも交互に行き先を決めることにしていましたが、今回は私に選択権がある順番でしたので迷うことなく“スペイン”にしました。 マドリッドとトレドには20年ほど前に行きましたが、バルセロナのサグラダファミリア(聖家族教会)をまだ見ていなかったからです。 幸い全行程快晴に恵まれ、南スペインの強い日差しとオリーブ畑と噴水を楽しみ、キリスト教とイスラム教の混合文化に全身を浸した刺激的・印象的・快適な12日間(2004・11・12〜11・23)でした。 |
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いよいよ“聖家族教会”です。 1882年の着工ですから既に120年は経っているのですが、今尚建築続行中です。 宗教建築物なので公的援助無しで、寄付と入場料で建築費を賄っているということです。 だから時間がかかるのでしょうね。 しかし最近は寄付が増えてきて建築スピードが上がってきたと聞きました。 内戦でガウディーの設計図が焼失したため、現在は“ガウディーの求めたものを探しつつ建築を進めている“(外尾悦郎氏)ということです。 |
上の写真は聖家族教会の建築中の内部のものです。 建築中の建造物を見学させて「入場料」を取るのですから、普通では考えられませんね。 もう一つ判ったことは、何故“聖家族教会”というのかということです。 これまで各地で見た教会の彫刻や絵画は全て“イエス”と“マリア”のものでしたが、ここには父親の“ヨセフ“が出て来るのです。 マリアの”処女懐胎“はどうなるんでしょうね。 宗教的な意味については良く判りません。 |
アルハンブラ宮殿とメスキータ寺院(グラナダ、コルドバ)
外観は質素なのですが、内部は当時の絢爛たるイスラム文化の水準の高さを誇っています。 壁や天井の色彩が経年変化で落ちてしまっていたのが残念でした。 名曲「アルハンブラの思い出」(タルレガ)のCD(ホテル夕食時にギター演奏した楽団の)を記念に買って来ました。 |
コルドバで見学した“メスキーター寺院(回教寺院)”は全く予備知識が無か |
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食べ物・飲み物の話ですが、美味しかった |
スペイン絵画も観て来ました。 バルセロナの“ピカソ美術館”では彼の15歳頃の勉強中の作品や“青の時代”のものが多く展示されていました。 ピカソの修行中の絵を見るのは初めてです。 マドリッドの“プラド美術館”は前回生憎の休館日でしたが今回はたっぷり見せてもらいました。 流石というほかありません。 当初の予定には無かったのですが、折角の機会だからということで“ソフィア王妃芸術センター”をスケジュールに挟んで貰い、“ゲルニカ”(ピカソ)だけ見てきました。抽象画は判りにくいのですが、強く訴えてくる迫力には凄いものがあります。 |
“中世の街トレド”を再訪しました。
街中を巡る迷路のような路地、小さな窓の石造りの家、かつて世界最先端の英知が集められた街トレドには尽くせない愛着を再び感じて帰って来ました。 |
ローマ人の造ったセゴビアの水道橋
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スペイン旅行余談 今回のスペイン旅行は想像を越える異文化情報のラッシュで頭の中が引っ掻き回されたような気分です。 ただそれを中々文章に出来ないもどかしさを感じています。 5枚が限度だろうと思うので残念ながら後は省略します。 別の意味でも今回の旅行は収穫がありました。 それは同行者と添乗員に恵まれたことです。 9人のツアーでしたが皆さん個性的な方ばかりでした。 岡山の田舎から来られた“素朴”を絵に描いたようなご夫妻と奥さんのお母さん、大阪・天神橋と心斎橋でカフェのフランチャイジーをしておられる脱サラご夫妻、C電力会社OB(技術屋)の老夫婦と我々夫婦という組み合わせですが、それこそ毎日が野次喜多道中でした。 添乗員(女性)は宝塚歌劇の男役のような容姿の“仕切り屋さん”。 もういちどご一緒したいものだと思っています。 今回の旅行は最後までドラマティックでした。パリで乗り換えて日本に向かったのですが、一時間半ぐらい経ったバルト海上空で重症な急病人(若い日人女性)が発生し、医者の判断で反転して燃料を空中投棄した上でコペンハーゲン空港に緊急着陸をしました。関空着は3時間遅れましたが人の命には替えられません。 |