セカンドオピニオン・・私の場合

「腎臓癌です」
医師の言葉が全身を突き抜けた。経験したことのない無機質な感覚である。
「転移が無いとは言い切れませんが、早期癌なので内視鏡手術で十分です。出来るだけ早い方が良いですね。来月なら・・」と医師の声が遠くから聞こえてくる。突然の癌宣告だ。

 平成十二年十月、四十二年間務めた会社を定年で終え、最後の勤務地になった東京から五年ぶりに故郷大阪に戻った。
新しい人生の門出なので、M病院で人間ドック検診を受けることにする。検査数値は全て正常。ただ「腎臓に小さな影がある。心配は要らないが、念のため半年後にCTを撮りましょう」という但し書きがついた。
CT検査の結果、悪性ではなく単なる「血腫」であると診断される。少し不安に思うところもあって、「MRI検査の必要はないのですか?」と問うと。「では一年後にやりましょう」となった。
 MRIの結果は「血管筋血腫」。やっとのことで胸をなでおろす。もやもやした気持で過ごした一年半に終止符が打たれ、その夜は妻と久しぶりに祝杯を挙げたのだが、この話はこれで終わりにはならなかった。
 その年の十月、M病院で再び「人間ドック検診」を受けたところ、一転して「悪性腫瘍の疑いが強い。至急専門医の診断を受けて欲しい」と言うではないか。その専門医の診断が、冒頭の「腎臓癌です」になったのだ。

 最悪の事態が頭をかすめる、<冷静にならなければ>と意を決し、東京時代の親しい医師にセカンドオピニオンを聞くための専門医紹介を依頼する。K大学のM教授に辿り着くまでの二週間が何と永かったことか。
 M教授は持参のMRI画像を見て「腎臓癌
の疑いが極めて高い」と言う。診断は同じだ。覚悟も決まった。入院手続きを済ませ、妻と帰宅して二、三時間たった頃、K大学から電話が架かってきた。
「あの後、院内の総合カンファレンスで報告をしたが、放射線科の医師から異論が出た。改めてMRIを撮らせて欲しい」とのこと。異存のある筈も無く、直ぐに応じる。
M教授の「単なる血腫です。腎臓癌ではありません」との最終診断があり、「やっと」結末を迎えた。平成十四年末のことである。
 この二年二ヵ月の間、ストレスも強かったが、学ぶことも多かった。教授診断を覆した「K大学の総合カンファレンス」、セカンドオピニオン受診への「M病院の協力的な姿勢」を見ても、不十分とはいえ医学界が「患者中心」を目指していることは間違いないと思われる。
昨年度の大阪府立成人病センターへの「セカンドオピニオン」受診は千二百件に及ぶという。全国に焼直せば相当な数字になるであろう。
十年前には議論のあった「がん告知」や「インフォームドコンセント」が今日では当たり前のこととされるようになった。
「セカンドオピニオン」受診も、患者の当然の権利であるとともに、医師にとっても己を守る有力な武器である、とする考え方が急速に広がりつつある。
後は、患者自身の「自分が命の主人公であり、身体の責任者である」ことの認識如何にかかっている。

    (平成十八年三月二十三日)