書き落とした名店・・暖簾を守る老舗             ‘10-4-27
 「蕎麦切り」は庶民の食べ物が通り相場だが、そもそもは寺社に起源すると考えられる。古来多くの僧が中国に渡り、仏教の
教義と共に様々な大陸文化を持ち帰った。そばもその中の一つである。当初はは修行の携行食として「蕎麦掻き・蕎麦団子」で
あったが、やがてそれが「蕎麦切り」に姿を変えた。寺社から檀家へ伝わるのにそれほどの時間はかからなかったであろう。檀
家の筆頭は大名・上級武士である。水戸光圀・井伊直弼・保科正之・松平治郷(不昧公)・柳沢信鴻公などが無類の蕎麦好きで
あったことも頷ける。町方への伝播もほぼ同時期であったと考えるのが自然だ。右下の絵は「大坂・砂場」の繁盛振りを描いた
もので、天正12年(1584年)と吹き出しにある。疑問符つきの絵だが真実ならば砂場が
日本最古の蕎麦屋ということになる。
 
嶋田屋(深大寺) 08-11-11 羽根屋(松江市) 08-2-2 深大寺・・・大坂砂場
 

 深大寺門前蕎麦屋の元祖とされてい
る。創業は江戸末期。現在は五代目が
伝統を守る。コシの強い蕎麦。深大寺
大門の前にある。観光客でいつも満員
の繁盛店と聞いた。

 江戸末期創業の老舗。看板に「献上そ
ば」とあるは、大正天皇が皇太子時代に
松江訪問時に蕎麦を献上され”その美味
なる”を称えて使用が許されたもの・・・と
店内に説明書が貼り出されている。
  上段は「江戸名所図会」天保7年・1836
年)に収められている深大寺。和尚が蕎
麦を食している。のどかな武蔵野の風景。
 下段は「大坂砂場」.吹き出しに天正12年
(1584年)とある。 クリックで拡大。
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とちり蕎麦 蕎麦と歌舞伎は縁が深い。初めて蕎麦が歌舞伎に登場したのは二代目市川団十郎演ずる「助六」であるという。
また「忠臣蔵」の討ち入り当日の蕎麦屋の場面はよく知られている。芝居が満員札止めになると関係者一同に「大入蕎麦」が配
られた。この習慣が後に「そば札」(引換券)となり、やがて「大入」と朱書された金一封が配られるようになったといわれる(「蕎
麦史考」新島繁)。面白いのに「とちり蕎麦」がある。役者が舞台で台詞をとちるとその詫びに楽屋全員に蕎麦を振舞うことを指
す。十七代中村勘三郎が「忠臣蔵」の追い出しに「かっぽれ」を踊った折、たまたま出のタイミングを間違え出演者全員に蕎麦
を奢ったのが始まりであるう。現在もなおこの習慣は残っているが、蕎麦ではなくいつからか「コーヒー券」に変わったという。
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