一茶庵の源流を訪ねる・・・「足利詣で」伝説の地  10−6−23
片倉康雄氏抜きに昭和の蕎麦史を語ることは出来ない。江戸時代からの伝統を守る老舗名店が現在も多く残っている。したが
って片倉氏が遇されるべき位置は「昭和の手打ち蕎麦再興者」が相応しいといえよう。創業は大正15年、場所は新宿東口であ
った。機械打ち全盛の中にあって「手打ち」に拘り続け、遂にそば打ち名人と呼ばれるようになる。戦中戦後の休業を経て、栃木
・足利で店を再開したのは昭和29年のことであった。報を聞いた東西の蕎麦屋が教えを請うために足利に押しかけた。これが
現在も語り継がれる「足利詣で」の伝説である。その後片倉氏は神田にも出店し東京への凱旋を果たす。昭和47年に上野で開
設した「日本そば大学講座」が「手打ち」に火をつけ多数の手打ち蕎麦職人を輩出した。一茶庵系の蕎麦屋は全国に群生する。
 
一茶庵本店(足利市)  10-6-11 車屋(八王子市)  10-6-10 蕎遊庵(足利) 10-6-11
   
栃木・足利にある一茶庵の総本山。昭和
29年・開店時の場所とは異なる。室町幕
府・足利家発祥の地である歴史に配慮し
て重厚な長屋門にしたという。足利建築
文化賞も受賞している。現在は長男・敏
男氏が二代目として後を継いでいる。
ご主人の小川さんは片倉氏の「日本そば
大学講座」学んだ後、本店で修行し現在
地に創業する。「達磨」の高橋邦弘、「村
屋東亭」の渡辺維新氏等と並び称される
高弟である。遠方より客が来る繁盛店で
もある。
ご主人の根本さんは片倉康雄氏の最後
の弟子と言われるが、一茶庵で修行した
わけではない。経営していたコーヒー店で
客として来店した片倉氏と出会いそば打
ちを学んだという。足利織姫神社の一角、
足利市が一望出来る絶好の場所にある。
 
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蕎麦の三楽 蕎麦好き人口は最近もなお着実に増え続けている。蕎麦が好きな人、蕎麦屋が好きな人、蕎麦打ちに没入す
る人、雑学に興ずる人・・・独り楽しむ人・同好会を作る人・・・夫々多様である。「蕎麦食」といっても百味百様・・・産地、挽き方、
篩い方、つなぎ、打ち方、切り方等によって蕎麦の表情も味わいも無限に広がる。高じて「蕎麦屋歩き」が始まると憩いと安らぎ
の時空を求める別の楽しみが加わわる。こだわりの蕎麦職人との出会いは魅力の一つだ。蕎麦打ちを始めると蕎麦への執着
は必ず倍増する。
蕎麦の雑学も少し広げると「地方の生活と文化」に突き当たること必定である。蕎麦を杖に歴史の散歩道を辿
るのも楽しいものだ。「食べる楽しさ」と「打つ楽しさ」に「知る楽しさ」を加え、これを「蕎麦の三楽」と名付たのだが如何だろうか。
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