二千年続く焼畑と縄文ソバ・・・椎葉村の歴史         14-9-1
二千年の歴史を持つ焼畑農業も今では継続して輪作・遷地を繰り返すのは宮崎県椎葉村の向山・日添地区の椎葉勝さん一家だけ
になってしまった。時代の風潮に抗し切れず衰退して行ったのであろう。椎葉さん一家の焼畑は4年前から準備が始まる。繁茂する
樹木を順次間伐し前年には全て切りそろえ焼畑に備える。4年目の8月に火が放たれ、初年度はソバが播かれ、二年目はヒエ、三
年目は小豆、四年目は大豆と続く。その後は20〜30年間放置され元の雑木林に戻す循環型自然有機農法である。椎葉くに子さん
(勝さんの母90歳)は焼畑を続ける理由を「焼畑がなくなれば縄文から伝わるソバの種が終わってしまう」と言う。が、勝さんは「焼畑
を持続可能」にする必要性を説き、「焼畑・狩猟・食生活・神楽を含む椎葉の山村生活全体」の世界文化遺産登録を夢見ている。
 
民宿焼畑  14-8-2  上段:焼畑、下段:椎葉くに子と
(裏)わくど汁
 鶴富屋敷  14-8-2
日本唯一の焼畑農家は椎葉村の中心か
ら車で小一時間ほど山深い高度900mの
位置にある。民宿も営み、椎葉くに子さん
(90歳)の野草に関する知識の広さには
驚く。野草学博士の別名の由縁でもある。
 焼畑は山火事を起こさないためにも入念
な計画・経験が必要とされる。写真下段:
90歳の椎葉くに子さんと同行の友人(まっ
ちゃんとみやちゃん)です。(裏)は「ソバ・
わくど汁」(椎葉村では普通の食べ方)
椎葉村には壇ノ浦で敗れた平家の落人が
隠れ住んだ伝説がある。追っ手として椎葉
に分け入った那須大八郎が平家の鶴富姫
と恋仲になった悲恋の物語がある。鶴富屋
敷は二人の愛の巣という。現在は食堂。
 
 
焼畑とソバ 焼畑では通常最初の作物はソバである。何故か。樹木の繁茂・梅雨などの条件を勘案すると焼畑の火入れは8月
が最適だといわれる。だとすると、高地で霜の降りる時期までに収穫できる作物はソバしかない。播種から収穫まで75日という短期
育成の特性が生きるわけである。まだある、ソバは発芽が早く吸肥力が強いので他の雑草を寄せ付けない
ことも理由の一つであろ
う。ソバ種は焼畑の熱がまだ地面に残るうちに播くのがコツだというが、ソバの硬い外皮が弾けて実が外に飛び出し発芽を早めるた
めなのだろうか。焼き灰には窒素やリン酸ガ多く含まれるので、焼畑で採れるソバの実は普通より膨らみがあり充実していて、挽い
て粉にすると香りや粘りが強く、つなぎ無しでもコシのある美味しい蕎麦が打てるという。再び焼畑が広がりつつあるというのだが。
 Top