「越前おろし蕎麦」の名前の由来(越前編2)・・・ 11-5-5 | ||
朝倉氏が15世紀に救荒食として蕎麦の栽培を奨励し、伏見から本多富正が領主として府中(武生)入りをした際に京のそば職人・ 金子権左衛門を同道し、蕎麦に大根の擂りおろしをかけ食べさせたのが「おろし蕎麦」の始まりだとされている。一方、昭和天皇が 昭和22年福井行幸の際に食べた「おろし蕎麦」の味が忘れられず、「あの越前の蕎麦は・・・」と折にふれ口のされたのが現地に伝 わり、現在の呼称なったという。であれば「越前おろし蕎麦」は本多富正と昭和天皇の合作ということになるのか。天皇と蕎麦の関 わりは数多い。大正天皇も昭和天皇に劣らぬ大の蕎麦好きで、いくつものエピソードを残こしている。また蕎麦栽培推奨の詔勅を 発したのは第44代元正天皇(722年)であった。今も奈良では「蕎麦祖神」としてそば関係者から崇められ記念行事も行われている。 |
||
森六(武生市) 11-4-29 | 朝倉義影館跡・越前おろし蕎麦 | 三井屋(福井市) 11-4-28 |
武生中心部から東・今立地区にある。明 治4年創業の老舗。11時きっかりに入店 したが先客が2組。「おろし蕎麦」は大根 の辛みが蕎麦の甘みを引き出していて 美味。大根と水に拘る。蕎麦は硬い。 |
上段:朝倉氏の館跡。一乗谷にある。信 長に敗れるまで5代103年間の夢の跡。 下段は:森六の「おろし蕎麦」・・太切り硬 目の蕎麦に辛み大根の汁・生醤油と花鰹 と刻み葱が作る絶妙のハーモニー。 |
福井市内にある創業・天保8年(1837年) の老舗中の老舗だが蕎麦味・店舗もそ れを感じない。蕎麦は細切りでもっちりし ている。辛みも少ない。故宇野重吉氏が こよなく愛したと伝えられる。 |
面前三たて 先日京都の蕎麦屋「いしたに」から葉書が届いた。「面前三たて」の専 門店を始めたというのだ。「挽きたて・打ちたて・茹でたて」は殊更珍しいことではない が、どうやら「三たて」をお客の面前でやろうということらしい。カウンター5席の小さな 店。蕎麦前を楽しむ間にカウンター越しにある電動石臼がゴロゴロと動く。酒宴が盛り上 がる頃には粉(400g)が挽き上がると言った段取りだ。目の前で200gの蕎麦が2回 続けて打たれる。石臼に拘る石谷さんならではだ。正真正銘の「三たて」である。 |
||
Top |