中国雲南山地を中心に東西に照葉樹林帯(シイ・カシ・クス・クリ等)が広がり西端にヒマラヤ、東端に日本がある。この樹林帯に共通
する文化の存在を故中尾佐助・佐々木高明氏が指摘した(「稲作以前」佐々木高明著)。水さらしの技法・茶の加工と飲用・絹・漆の
製造・麹を使う酒の醸造、さらには儀式としての共同狩猟・精霊信仰・歌垣の慣行、そして芋・雑穀を栽培する焼畑農業などである。
北九州から西日本一帯に焼畑農業が広がったのは縄文後・晩期だと言われる。ソバは、ヒエ・アワ等と共に焼畑農業の主産物で
あった。九州の椎葉・五ッ木、四国の東祖谷・椿山、北陸の白峰等は数十年前まで広範に焼畑が行われていた。弥生時代の稲作の
伝来によって西日本の農業は一変したのである。北方渡来の東日本「ナラ林文化」、畑作中心の農業とは歴史を異にすると言う。
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