東京の老舗蕎麦屋の「種物とつまみ」               15-6-1
爛熟した江戸の習俗は明治維新を境に大変貌を遂げた。慶応3年(1867)大政奉還、翌年「自今、江戸ヲ称シテ東京トセン」の天皇詔勅
、明治3年には天皇の江戸城入りがあり東京は事実上の首都になった。が、慶応3年には108万人だった人口が、明治元年50万人に
半減、明治9年には再び112万人へ、この十年間の変化は未曾有のものであった。加えて文明開化で外国文化の怒涛の襲来である。
鉄道の敷設、街にガス灯が立ち並び、ざんぎり頭・洋服・洋傘が流行った。牛鍋・洋食で食生活も変わった。蕎麦も例外でない.。岡本綺
堂は「そば屋で種物を食べる人が多くなった。本当の蕎麦を味わう人は盛か掛けを食うのが普通だったが、近年は金の無い者が食うよう
になった」(「江戸の思い出」)と嘆くのだが、江戸〜東京の老舗蕎麦屋は江戸の香りを残しつつ環境変化へ巧みに適応したのである。
 ★種物には夫々説明をリンクしています。写真の上でクリックして下さい
神田藪(裏:旧店舗) 15-4-17 種物(たねもの) 虎ノ門砂場(裏:大阪屋の看板) 11-11-19 
平成13年2月19日に旧店舗が火事で消失
し、全国の蕎麦ファンに惜しまれ再建が待た
れていた。ようやく昨年10月に新装開店。板
塀がなくなりや中庭等少しイメージは変わっ
たが、蕎麦の味・花番の符牒は前のままだ。
関東大震災直前の大正12年に建てられた
蕎麦屋としては歴史的遺産とも言うべきもの
である。店内も大正ロマンを随所に感じる設
計だ。官庁街に近く喧騒の中にあるが、店
内には別の時間がゆっくりと流れている。
 
江戸患いと蕎麦 「江戸患い」をご承知だろうか。江戸に永く住むと、全身倦怠・食欲不振・手足のむくみ等の症状が出るのだが
江戸を離れると治ってしまう不思議な病気である。長期間の江戸詰めを行った武士たちによく起こったという。現代でいう「脚気」である。
玄米や雑穀を食べず、精白された米を大量に摂ることからくる当時の贅沢病であった。文化文政時代には広く町人にも流行ったと言わ
れる。地方では起こる事が極めて少なかったことから「江戸患い」と呼ばれていたのだ。ビタミンB1の不足が原因なので、B1を豊富に
含有する蕎麦はその特効薬、それもあって蕎麦は江戸市民に広く好まれたのではないか。脚気は最悪死に至ることもある病気で、徳
川家定(13代)・家茂(14代)や皇女和宮の死も脚気が原因であったと言われる。肺結核等と並んで永い間日本人の国民病であった。