日本の郷土蕎麦(東日本編)・・・東京を除く・・・           15-4-1
日本列島は亜寒帯から亜熱帯まで北東から南西に帯状3000キロにわたり長く伸びる島国で、寒流・暖流に洗われ「春夏秋冬」変化
に富んだ自然のなかに在る。縄文時代の焼畑・狩猟・採集を経て、弥生時代に稲作文化・・・北方から・南方から・大陸から多様な文
化を吸収し、融和し、洗練し、浄化して独自の新しい文化を生み出して来た。とりわけ食文化は夫々の地域特性を反映し真に多彩で
あった。ところが、工業化の進展とともに共働き家庭の増加・外食産業の発展等によって「食の画一化」が進行している。地方に根付
いた郷土食も観光化され本来の輝きを失いつつある。蕎麦も例外ではない。「地方創生」が声高に叫ばれるが、創生の鍵は「地方文
化」の発信にある筈だ。五百年の歴史を持つ蕎麦切りも地方創生の一翼を担うのが当然の役割である。 動きは既に始まっている。
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 わんこそば(岩手県・盛岡) 板そば(山形県)  ねぎそば(福島県・大内)  水そば(福島県・山都)
高遠そば(福島県・会津若松) 裁ちそば(福島県・檜枝岐)   へぎそば(新潟県・小千谷) 戸隠そば(長野県・戸隠)
富倉そば(長野県・富倉)  寒晒しそば(長野県・上田)  とうじそば(長野県・奈川) 真田そば(長野県・上田)
 ★まだ下に「寒晒しそば」の説明があります。   
寒晒しそば 蕎麦の極地とでも言うべきか。途方もない手間暇を掛けた蕎麦である。袋詰めした玄蕎麦を真冬の清流に1〜2週間
漬けてあく抜きをした後、更に1〜2週間寒空に天日干をするというのだ。会津藩初代藩主・保科正之がかって信州高遠藩主だった頃
、徳川将軍家光に献上していたのが、此の「寒晒し蕎麦」であったと記録にある。家光が夏にこの蕎麦を食していたので「暑中寒晒蕎
麦」、別名「御前そば」とも呼ばれていたという。時が流れ月日が移り、いつしかこの技法も忘れられ「幻の蕎麦」となっていたのだが、
昭和49年、山形県麺類食堂協同組合が江戸時代の古文書を参考にその再現に取り組み成功した。そして起源地である長野県高遠
に戻って来たのである。清流でのあく抜きで雑味がとれ、天日干しで強い紫外線を浴びて甘みが増すという。全国各地に拡散中だ。